其の52 かつての駄目人間


 身近なこと程よく解っていないことが人にはあるものである。例えばコンピュータのバイオスの設定は解っていても、スーツを持ち運ぶ際使う袋のようなものの組み立て方が解らなかったする。また数学の証明がしっかり出来る程論理的な知能の持ち主であっても、コーヒーのプルタブの引きかたが解らない人物だっているかもしれない。ギターでFはしっかり弾けない癖にAsus4は巧く弾けたりするのもこの例に当てはまるであろう。こういう傾向は駄目人間にありがちで、余計な知識は溜めこむ癖に(歴代芥川賞を順番に言えたり、ビートルズの曲の歌詞を全部覚えていたり。因みにわたしではない)生きていく上で必要な知識を持っていなかったりするのである。また皆が知っていることをその根拠のないプライドの為知ろうとしないのも駄目人間の性癖である。かくいうわたしも駄目人間の末席に座している者なのだが、この傾向が強く基本的な知識に欠けていたりするし、他人に質問するのも嫌いである。だから掃除機の中には塵を溜める袋があるということも最近知ったことであるし、各社の掃除機の種類によってその袋同士の互換性がないことも最近知ったことであり仕事場で使っているものと全く異なるものを買ってきて叱られたなどはわたしの駄目人間ぶりが解るエピソードである。
 わたしが駄目人間であるのは良いとして(本当は色々な方面で迷惑をかけているのだと思うが具体的には気付いていない)、他にも多くの駄目人間が生息しているはずなのだが、わたしの仕事場などにおいてそのような人物に会うことは殆どなくなってしまった。高校時代、あれほど周りにいた駄目人間が何処に消えうせたのか不思議でならないのである。勿論、ここでリンクされているページの作者は皆駄目人間だと思うので、周りに全くいなくなってしまったわけではないのであるが、高校時代の友人などは昔の駄目人間ぶりは家に忘れてしまったのかと思うほど奇麗さっぱり社会に順応してしまって、仕事の愚痴を言ったり、仕事が如何に己の肩にかかっているかを自慢したり、あろうことか名刺の渡し方をわたしに教えてくれたりもするのである。たしか自分の名前が相手に読めるようにして両手で渡すのが礼儀だそうである。これはこの間一年に数回あるかないかの名刺交換のとき役立って少し感謝している。お礼といっては何だが、ここで彼が高校時代如何に駄目人間だったかを語ろうと思う。こんなことくらいでしか感謝の意をあらわせないわたしを笑ってくれ、谷口君よ。
 あれは高校一年のときであった。わたしの通う高校は府下でも有数の公立の進学校であり、自慢ではないが殆どの人間が日本で二番目に難しいと言われる大学に進学する。日本で通えるアメリカの大学ではない。日本で二番目に難しい大学である。谷口君も例に漏れずその大学へ進学した。非常に優秀であり、彼の凄い所は高校受験で灘校を受験したということからも解る(勿論彼は不合格であったからわたしの同級生となったわけであるが)。大阪というところは私立高校を一校しか受験出来ないので物凄い賭けなわけである。そんな彼でも落ちこぼれのわたし(下から数えて三番という栄誉ある成績を取ったことでも解る)と対等に付き合ってくれた。心の中では馬鹿にしてた、いや馬鹿だと思っていたかもしれないが、表面上は対等に付き合ってくれたのである。定期テスト前に授業のノートをコピーさせてもらったり、逆にわたしがそのコピー代を支払ったり、本当に平等な関係であった。良い友人関係を築いていたのである。わたしは明確にわたしよりも優れていると解ったとき普段の嫌味なまでのプライドを投げ棄て、そして駄目人間ぶりを投げ棄て色々なことについて質問することがある。それで谷口君には色々と質問をした。これからの日本においてイデオロギーと経済との隔たりがどのような結果を産むかということや(わたしのガムには風船が出来るのと出来ないのとあるが、それは何処に表示されているかの質問の後谷口君が)、21世紀における中国の役割についてだとか(わたしのティッシュペーパーの箱を如何に丁寧に畳むときあの切り取り線が役に立つかを熱っぽく語った後谷口君が)をわたしに質問されたり、わたしが質問したりしていたのである。そんなとき谷口君は馬鹿にせず(心中は解らないが)丁寧にわたしの下らない質問にことごとく答えてくれた。良い友達である。
 そこでひどく寒いある冬の日、わたしはいつものように色々と彼に質問していたのであるが、どうにも鼻が詰まる。鼻をかみかみ彼と話していたのであるが、鬱陶しいことこの上ない。そこでわたしは谷口君に質問をした。
「ああ、どうして鼻水が出るんだろうな。しかしこの鼻水って何者なのだ」間髪入れず谷口君はしっかりとした口調でわたしに言った。
「脳味噌のかす」
 目が点になったのは言うまでもない。しかし灘校を受験(不合格)するほどの男だからいい加減な答えではないはずである。そう信じて、「ああそうなのか」と言ったがそれでも色々と疑問点が沸いてくるので谷口君に疑いのまなざしを向けていた。彼は慌てて、「ああ、これね、マサチューセッツ工科大学のスミス教授が言ってたのでたしかだと思うよ」と続けたが、その動揺から嘘であると見破ってしまったのである。見破るという程大したことではないのであるが、これ以来、彼の知識に対する信用をなくしてしまった。その後色々とわたしの知識も増えるに連れて、谷口君が言った「宇宙にはエーテルが満ちている」(彼の言うエーテルは古典的エーテルであった)だの「永久機関は理論上可能」だの「地球の磁極が入れ代わるとき進化が起る」だのといった知識が非常に胡散臭く、そして嘘であることが解ってしまったのである。そういったことに疑いを持たなかったわたしも純粋であったのだが、谷口君もその当時からいい加減な知識でもってわたしの質問に答えていたのである。いや、ほんと駄目人間である。それもわざわざマサチューセッツ工科大学のスミス教授などというわけの解らない権威を持ち出すなどは駄目人間であることを証明しているようなものである。それに適当に答えていたのも今から考えるとよく解るし、日本の科学レベルを俺が上げて見せると豪語していた割に、一年留年の後営業の仕事を選んだことでも彼の駄目人間ぶりを示していると思う。流石に今では駄目人間ではなく社会に順応してばりばりと名刺を配っているが、たしかに彼は駄目人間だったのである。
 これが名刺交換の作法に対するお礼だが、これで満足か、谷口よ。


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