其の51 ひし形


 そういえばこの間物凄く恥ずかしい思いをした。いきなりこう言うのだ。
「たとえ何があろうとも二人の間は壊れない」
 非常に強い口調であった。こういうのは言った人間よりも聞いた方が恥ずかしくなってしまう。よ、御両人、憎いねこの、ど根性蛙! という恥ずかしさではなかったのは、犬に向かって語りかけていたことを要約し、多分に脚色すると上記の台詞になるからで、齢55を越えようかという人間の言葉とは思えなかったからである。それが父上であったこともわたしの羞恥心を煽った。よ、憎いねこの、犬親父! という恥ずかしさであったわけである。本当に困ったものである。
 それはそうとわたしが高校生の頃、友人の中に詩を書くという奴がいた。あの文學の詩である。わたし自身、詩というものを読む習慣がない上、詩情とでもいうのだろうか、そういう感情が一切ない人間なので詩を書くという心理がいまいちよく解らなかったりする。如何に素晴らしい詩であると言われても、ああそうなのてな感じなのである。まだ理解できるのは和歌だとか俳句とか絶句だとか律詩だとか定型詩である。これはまだ目につくことが多いこともあるし、粋であるなり侘びであるなり幽玄だとか軽みだとか、こういった様式や思想といったものが自由詩に比べて頭に入っている分理解できるのだと思う。だから全く知識がなく、普段接することのない自由詩はお手上げである。文學史的なものは多少はあるが実際に読めと言われれば困るわけだ。
 その友人は吟遊詩人であった。教室の中をうろつきまわり、校舎をうろつきまわり知った顔があると、これ読んでくれない、自信作なんだ、こういってノートを手渡すのである。そして彼からノートを受け取った者にこうも言うのである。やっぱり詩っていうのはさ、朗読するものなんだよね、そういってノートを広げている人の前でその詩を朗読するのである。非常に困った奴である。廊下でも便所でも所かまわず大いに詠うのであるからたまったものぢゃない。それに彼の声は自ら朗読すると言うくらいであるから、実際低音のよく響く良い声なのだ。コマ劇場ででも大いに詠っていてくれと言いたくなるほど良い声なのだ。
「あ、あ、あ、あ、あー」
 発声練習にも余念がないのである。
「タイトル。「僕の太陽」」
 このタイトルだけで充分恥ずかしいのであるが、彼にとっては自信作であったらしくこの続編である、「我が太陽」「太陽日和」「太陽純情」「暗黒の太陽」といった「太陽シリーズ」というのを次々と発表していった。内容はタイトルから自ずと解るであろうが、酷い代物であった。声だけは一人前だったが、内容はお猿さん級だったのである。詩に関して門外漢であるわたしでさえもその酷さが解ったくらいであるから、弁当の時間魚肉ソーセージを喰いながらリルケの詩集を読んでいた坂本君などはその吟遊詩人を憎んでさえいたかもしれない。
 しかし彼の作った多くの詩の中には(彼は多作で一日三つも四つも作り上げることもあった。詩というものを勘違いしているようにも思える)極たまにではあるがわたしの琴線に触れるものがあった。わたしはこっそりとお笑いシリーズと読んでいたのだが、それには非常に感心した覚えがある。一つだけ少し覚えているものがあるので、記憶を頼りに、彼には無断ではあるが発表しようと思う。

タイトル「三月」

 ひし形ひし形ひし形ひし形ひしがった
 おるごおる鳴るよ
 豆豆豆豆豆豆豆豆豆豆豆豆豆豆
 くりかえす御内裏様
 ひし形ひし形ひし形ひし形ひし形ひしがった

 彼によると繰り返しの面白さを狙ったということである。ひし形とは何かと問うと、それは菱餅のことのようであった。彼には姉がいてそれで雛人形を見ていたときに思い付いたということである。そして豆というのを繰り返すのはなんとなくという話だ。芸術というものは理詰めで理解するものではなく感情の赴くままその流れに乗っかれば良いとわたしにこの詩を楽しむ為のレクチュアをしてくれたりもした。実際はこれの四、五倍の長さがあったはずであるが、忘れてしまった。それほど「ひし形ひし形ひしがった」というのが印象深かったのである。それともなんとなくバラクーダの歌っぽくもあって覚えているのかもしれない。
 彼は半年もすると詩作に耽るのも飽きてきたようで殆ど詩を作ることはなくなってしまった。彼によると詩作をやめてしまった理由は「まだ俺の時代が来ていないからだ」ということであるが、後に詩作をしていたことなどなかったかのようにわたし達と馬鹿話に興じるようになったので、やはり飽きたのに違いないと思う。


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