其の64 思い込みです


 いくらわたしが孤高の駄目人間だとしても、まったく世間から隔絶して生きているわけではなく、それなりに実社会と触れ合いながら生活している。勿論しっかりと順応しているようでもなく、今の状況を譬えると、野球でいうところの「チップ」という感じが最も適当なのではないか。ま、かすっているというわけだ。気持ち的には「チップ」と言わず豪快に空振り三振ゲームセットとばかり、いっそのこと世間から完全に取り残されたような山奥でひっそり暮らしたいという願望もなくはないのだが、そこまで達観しているわけでもなく、やっぱり街のカレーは美味いし、日本橋にも行きたいわけだ。ま、俗物と言われればそれまでなのだが。
 というわけで、学生時分のことである。恥ずかしながら自主映画を制作する倶楽部に所属していた。字面だけみるとこの「映画研究部」というものは、芸術の香り高く、時代に取り残されながらも懸命に己の夢に邁進するといった若さと陰気が入り交じった響きがあるのだが、わたしが参加していたころには八割方イベントサークルと化していた。もっともテニスだキャンプだ合コンだ、などというイベントを運営していたのではなく、麻雀だ麻雀だ麻雀だ、といったイベント性の低い催しや、年に数回の合宿と称した慰安旅行(学生の癖に慰安旅行というのがぴったりであった)などが主な活動である。あと平常行われる催しとしては夜中にしりとりや怪談をしたり、心霊スポットへのドライブなどがあった。爺むさい倶楽部である。
 こんな倶楽部であるから、慰安旅行に行ったからといっても、史跡を巡ったり爽やかに青春について語り合ったりすることなどあるはずもなく、酒を呑みながらしりとりをしたり、はたまた酒を酌み交わしながら麻雀をしたり、酒を呑みつつ怪談をしたり、酒を呑みながら心霊スポットへのドライブなどをしていた。いつもと同じことを旅先でするのである。しかしわたしが上級生になるにつれそういった爺むささも薄れてゆき、みんなで和気あいあい十数名を集めてゲームをしながら酒を呑んだりするようになっていた。なんだかボーイスカウトのキャンプのようであるのだが、違いはゲームによる罰ゲームで酒を飲ませる所にある。
 わたしは観る機会に恵まれなかったのであるが、「マジカル頭脳パワー」なるクイズ番組があって、その中で「マジカルバナナ」と呼ばれるクイズだかゲームだか解らぬものがあったらしく、酒の席でのゲームにおいては、この「マジカルバナナ」と呼ばれるものを行われていた。あのときもそうであった。気付いたら始まってしまったのであるが、勿論ルールなどはまったく解らない。酔っていたこともルールについて訊ねる機会を逸した原因であろう。また上級生つまりは世の中のことをよく知っている翁として「知らない」などとは言えなかったこともルールについて言及する機会を失った原因でもあろう。
 他の人間をよく観察していれば解るさと楽観的に考え、「ういー、おっちゃんなー、酔うてますわー」などと酔っぱらいを多少演技しながらも目は真剣にゲームへと向けられていた。
「……といったら、煙草」
「煙草といったらライター」
「ライターといったら……」
 二人目にしてこのゲームのルールが解ってしまったと言えば自慢になるか。ならないのだが、ま、前者の言った単語に関連のある単語を述べればいいのだ、と酔っ払った頭で諒解した。
「……といったら牧場」
「牧場といったら牛」
「牛といったらホルスタイン」
「ホルスタインといったらコブラ」
 ぶぶーーー。十数人の後輩、同級生供から怒号が鳴り響く。あ、ちょっと捻りすぎたか。まあ良いや、如何にホルスタインとコブラが関係深いかをいつものように口八丁丸め込めばよいわ、などと悪代官のように不敵に笑ってわたしの幼少の頃の思ひ出を語ろうなどと思っていると、更に大きな声で
「それは思い込みでーーーす」
 などと気持ち悪い丁寧語でもって後輩諸兄から責められた。ありゃ、多数の支持が得られないものは駄目なのか、うぬぬそれは知らなかった。目の前にはウヰスキーがグラス半分程入れられる。いやいや勝負はこれからである。
「音楽といったらロック」
「ロックといったらギター」
「ギターといったらまわす」
 ぶぶぶぶー。
「それは思い込みでーーす」
 なんだと、ギターといえばまわすであろう。ほれ、こんな風に回すであろう。と一所懸命弁解したのだが、思い込みの一言で片付けられる。ええい、くそ。負けられるかい。
「巨人といえば木田」
「木田といえばタロウ」
「タロウといえば鬘」
 ぶぶーー。また引っ掛かってしまう。これは関西においては常識(キダ・タロウという作曲家がいて彼の頭髪はここ三十年間変化することがない)であるから、それはないだろうと真剣に詰め寄ろうとすると、
「リズムにのってないーーー」
 と片付けられた。リズムなんてものも審査のうちに入っているのである。スキーのジャンプの芸術点のようである。ちょっと納得いかないぞ。
「……といったらミナミ」
「ミナミといったら難波」
「難波といったら船場」
「船場といったらセン・バタロウ」
 ぶぶーーー。これも関西においては常識(船場太郎という喜劇役者が吉本にいて彼のギャグに「セン・バタロウです」というのがあった)であるからと詰めよろうとすると、
「思い込みでーーーす」
「なかんづくリズム感が悪いでーーーーす」
 と先手を打たれてしまう始末である。
 しかし後から考えるとわたしの前の人間の方が思い込みのような気がするし、なんで「難波といったら船場」なんだよ。それに最後の「リズム感が悪い」というのはどういうことだ。くそ、当たっているだけに言い返せないじゃないか、ギターのカッティングも八小節目くらいでずれてくるしな。


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