其の63 スターの苦悩


 わたしが子供の頃、漫画も大分市民権を得ていて、親のいる前で読んでいても「そんなくだらないものを読むんぢゃない」などと叱られるようなことはなかったので、小遣いを溜めてはせっせと漫画の単行本を買ったりしていた。たしか最初に自分の小遣いで購入した漫画は梅図かずおの「まことちゃん」である。あの「うしゃしゃしゃー、なのらー、ぐわし、さばらー」のまことちゃんである。考えてみると自分のことながら幼稚園児の読む漫画ぢゃないのだが、しかしその下品さに惹かれて何冊も購入したものである。
 小学生になると漫画はまず雑誌メディアに掲載されてから単行本化するというシステムも解ってきて、早く先の展開を読みたいが為、少年ジャンプとか少年マガジンといったものも毎週ではなかったのだが、購入するようにもなった。そういえばわたしが初めて少年ジャンプを購入したとき掲載されていたのは寺沢武一の「コブラ」である。子供心にもそのアメリカンコミックを彷彿とさせるタッチとお色気に興奮したものである。その頃買ったジャンプに載っていた「コブラ」の中で未だに覚えているものがあるのだが、それは「……ホルスタインのようなボイン……」とコブラがボインのねえちゃんにセクハラまがいの台詞を吐く場面である。それ以来ボインといったらホルスタインという公式がわたしの中で成立しているのだが、そういえば中学の頃か、社会のテストでどういう文脈だったかは忘れたのだが、乳牛の種類を答えさせる問題が出されていて、ズバリ「ホルスタイン」と解答したのだが、正解したのがクラスの中でわたし一人だった為教師に誉められたことがある。それもこれも「コブラ」のお影である。しかしあのとき「何処で覚えた」などと教師に訊ねられたならば赤面していたであろうな。
 たしか少年マガジンだったと思う。その当時からあったのだから、結構昔から連綿と続いていたのかもしれないもので、野球選手や歌手といったスターのサクセスストーリーを漫画化したものがあった。○○物語と銘打ったものであるが、やはり小学生対象のものであるからあまり複雑な人間模様を描いたものではなかったよう記憶している。まず現在の売れっ子になった様子を描写する。みんなにきゃーきゃー言われている様をである。しかし主人公はその状態に天狗にはなってはいない。ファンの熱狂を冷静に受け止め、そしてそのファンたちに感謝すらしている。その華々しいスターな状況を堪能しながらも主人公はそっと子供の頃、デビュー前、そしてデビューしてから暫く売れていなかった頃を回想するのである。そこには我々が思いもよらなかったスターたちの苦悩が描かれていたのであった。
 こういったスターのサクセスストーリー漫画の中で取り分け心に残っているものがある。「シャネルズ物語」である。今「シャネルズ物語」と書いてはみたが笑いを堪え切れずちょっと手が震えている。シャネルズが子供達のヒーローたちであったことにも驚かされるが、しかしあのシャネルズが漫画化されていたとは冷静に考えてみても中々凄い時代である。
 知ってのとおり(普通知らんよなあ)彼らシャネルズは中々苦労人なのであった。シャネルズとしてデビューしてからも中々売れない時期があり、彼らはそれまでの定職と平行してシャネルズとしての活動をしている。仕事が忙しい為練習もままならない日々が続く。なんと田代まさしだったかはトラックを運転しながら「ボンボボボボン」などと練習していたのである。そんな彼らは地方のライブハウスなどで精一杯歌うのであるが、客は誰独りとして歌を聞いてはくれない。これだけ巧くなったのに何故だという彼らの苦悩の日々。そんなときどういうわけか黒人ボーカリストの歌う姿をメンバーの誰かが目撃する。そのソウルフルな歌いっぷりに感激するメンバー。そしてそのメンバーが提案するのである。
「顔を黒くして歌おうぜ」
 困惑する他のメンバー。お笑いグループに思われはしないか。いやこれはインパクトがあるぞ。中々議論はまとまらない。「やってみよう」、リーダーのマーチンこと鈴木雅之の鶴の一声であった。そしてライブが始まる。幕が開くと、そこには靴墨で顔を黒くした新生シャネルズがいた。ざわめく観客。「日本人のくせにー」とヤジも飛び交う中、心に黒人の魂を抱きながら懸命に歌うシャネルズ。その圧倒的な素晴らしさに次第にざわめきもおさまり、観客は彼らの歌に耳を傾ける。歌い終わった後、一瞬の静寂。そして大きな拍手が鳴り響く。こうしてシャネルズは次第にスターダムにのし上がってゆくのであった。
 とまあこんなストーリーだったと思うが、しかしこの漫画を見て少し経ってからシャネルズによる集団レイプ事件が起ったのだが、この漫画の作者も非常に困ったことだろう。勿論少年マガジンも。
 あと「ゴダイゴ物語」というのもあった。例によって彼らも苦悩するのであるが、これが中々シュールであった。タケカワユキヒデだったかが外大出身だということで、歌詞の中に英語をそのまま乗せたりしていたのだが、これが思わぬ波紋を投げかけたのである。
 地方まわりをしているとき、ある年寄りに出くわす。
「英語の歌、うとうとるから外人さんぢゃと思うとった」
 婆の衝撃的な言葉。外人だと思われていることにショックを受けるタケカワユキヒデ。「僕達は外人じゃないんだ」と叫ぶミッキー吉野。横で彼らの苦悩がよく解っていない本物の外人のスティーブ(ベーシスト)とトミー(ドラマー)……
 しかし外人と思われているのが悩みだなんてどういう悩みなんだよ。その上この苦悩をバネに「ビューティフル・ネーム」を完成させるというのも意味不明であったのだが。
 そういや「名前、それは、燃える、猪木、なんだこのやろー」などと歌っていたな。


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