其の41 折々


 彼はまだ挟まれていたのである。最後に見たときから一週間も経っているがまだ挟まっていたのである。この間に比べると心なしか痩せているし、顔色も悪い。しかし死んでいないことから誰かに餌を貰っている模様である。彼女か。まあ誰でもいいが彼を救ってやってもらいたいものである。そんなこというとわたしの知り合いは、
「そんな挟まつてゐる奴なんてゐるわけなひぢやなゐか。また嘘つきやがつて」
 と、旧かなでもってわたしを執拗に責めるのであるが、本当にあったことなのだから仕方がない。そんな嘘ついてどうするのであろうか。そんなに疑うのなら其の場所を教えてやるから行ってみるがいいとまで言ったのであるが信じてもらえなかった。普段法螺ばかり吹いているのでこういう実際にあった奇妙なことを話すと嘘つき呼ばわりされるのが歯がゆい。
 さて御存じであろうか。一時間にどれくらいの紙を折ることができるのかということをである。折る紙の質、折る回数、出来上がりの良さによっても異なるであろうが、だいたい一時間にニ百枚弱である。案外少ないのである。であるから三千枚を折るとなると十五時間かかるのである。一心不乱に折ったとしても睡眠時間などを除いた全てを費やさなければならない時間である。ちょっと常軌を逸しているようにも思うが、わたしは達成してしまった。それも一日でである。もう折々のプロといっても差し支えないと思うし、その日地球上で一番紙を折った人であるとも思う。なんなら銀河系一かも知れない。たしかアンディー・ウォーホールの言葉に「誰でも五分間はスーパースターになれる」というのがあったと思うが、もしかするとわたしの生涯においてもっとも輝いた五分間というのが三千枚折り終えた後煙草を一服していた五分間がそれにあたるのかもしれぬ。たしかに世界一というのは誰でも得られる称号ではないかもしれないが、折々の世界一というのもどうかと思う。それにこれが人生における黄金時代であったりするのも侘しいものがある。
 もはや折々のプロであるから色々なことを教えることができるのである。そして紙を折ることに関する疑問に答えてこそプロであると名乗る資格もあるというものである。
 まず紙を折るには何が必要かというところから始めよう。紙さえあればいいぢゃないか、という人はまだまだである。折々のアマチュア、否まだ折々の道に入ったとは言えない、折々を人類の歴史だとすればその人はアウストラロピテクス程度の人である。修行が足りない。丸いマジックが必要なのである。量が多いのであれば必ず用意しなければならない。手で折るのはそれなりに味わい深く、端と端がきちんと合うという利点もあるのだが、いかんせん疲れるのである。手が痺れてくると能率が下がってくる。それゆえマジックをもって折り目を入れるのが匠の知恵であるといえよう。次に必要なものは意外なことに飲み物である。これは休息をとるという意味で必要なものでもあるが、絶えず水分の補給をしておくという意味でも必要なのである。暖房のかかった部屋で紙を折っていると体が乾燥してくる。特に指先が乾燥してくるのである。それに紙に水分を取られるというのもある。主にマジックを使って折るのであるが、ここぞというときはやはり手を使って折り目を入れなければならない。もしそのとき手が乾燥していると紙との摩擦で手が切れるという悲劇が起こってしまうのである。紙の質にもよるが、いかにやわらかな紙であっても三千枚も折っていると指先が痛くなってくる。それゆえ飲み物は必要なのである。そして最後に軽い読み物を傍らに置いておくのが肝要である。人間いくら単細胞であっても単純作業の繰り返しではやはり飽きてくるし、何をしているのか解らなくなってきてしまう。その点なにか読み物があったりすると休憩にもなるし、ページを捲ったりしたときに目の前にまだ折られていない紙の山があることに気付き、慌てて本来の作業に復帰しようとする。これが大事なのである。そこで今紙を折々しているんだという明確な目的意識と焦りが芽生え、より能率的に作業をこなすことができるのである。勿論ここでの読み物は軽いものでなければならない。間違っても「存在と時間(中)」などを選んではいけない。三ページ読んだら作業に戻ろうと決めても三ページ読むのに五時間はかかってしまうからである。また「ツァラトゥストラはかく語りき」など三回早口で言えないような難解なタイトルもいけない。さあ、今から「つぁあつ……とら……」を読もう、などと頭の中で考えると、しっかりとタイトルを言えるようになるまでつい二三時間練習してしまうからである。かといって赤川次郎などでもいけない。気付くと「三姉妹探偵団」を全巻読破してしまい、これまた一時間程過ぎてしまうからである。ましてや山岡荘八の「徳川家康」なんかだと読み終えたときに丁度作業を終えるという快感を味わうこともできないし、しようと思えば一週間は必要である。エッセイ、雑文の類が一番良いと思われる。二三ページで完結するので作業を大きく中断してしまうということもないからである。
 さてこれで紙を折る準備は出来た。あとはただただ折るだけである。もう折々折々していけば良いだけである。注意すべき点は無茶なペースで折らないこと。読書に夢中になってはいけないこと。傍らに山羊を侍らさないこと。こういったことさえ気をつければ約十五時間後に三千枚の紙を折りあげることができるのである。
 しかし折りあげた後も油断してはいけない。感激のあまりシャンパンを開けようとしたりすると紙が濡れてしまってもう一度やり直さなければならない。またなんとなく「折り返し地点か……」などと考えてひとつひとつ広げてしまうこともいけない。またやり直しになるからである。他には「つい煮込んでしまった」り「食べてしまった」り「紙に向かって祈りを捧げた」り、そういうこともやらないように注意しておいた方が良いと思われる。
 そして最後に精神面であるが、唯一こういうことだけは考えないほうが良いと思われる。これほど折々への道が険しく、多大な努力を捧げるのにもかかわらず、紙折り業者に出してしまえば一日で一万枚ほど仕上がるということである。そういう効率などという資本主義に毒された考えは芸術である折々の道を突き進むのに邪魔であるので考えてはいけないのである。


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