其の36 区別がつかないのだ


 昔から人の顔を判別できない。それに名前も覚えることができない。であるから一旦会ったというだけでは名前と顔とが一致せず、困ることになる。特に仕事関係で出会う人の名前は殆ど覚えることができないので、冷や汗をかくことがある。例えば仕事場にやってくる営業マンなんかは三回目になってようやく顔を覚え、そして半年程経ってからやっと顔と名前が一致し、電話の対応も出来るようになるのである。しかし、これはいい加減に仕事をしていることの證拠ではなく、昔からそうであったのだから仕方がない。例えば、芸能人の顔なんかは特に覚えていない。これは知らないというのではなく、顔と名前とが一致しないだけであり、あのコマーシャルのだとか、あのドラマに出てたとか、あの歌を唄っていた、などと言われると、ああ、あの、などと顔は思い付くのだが、結局は名前が解らないのである。ましてや外国の映画スターなどは顔と名前が殆ど一致しない。映画研究部であったのだが、ほんと情けない話である。しかし言い訳をすれば、それなりに映画のタイトルと監督、そして主演などは意外に出てくるのである。ガス・ヴァン・サント、マイ・プライベート・アイダホ、リバー・フェニックスなどとしっかりと覚えていたり、櫻の園、中原俊、中島ひろ子、と邦画も覚えているのは覚えているし、覚えていないのは覚えていない。それでも中島ひろ子は誰だクイズなんかをされると非常に困るわけだ。映画の内容もしっかり覚えているし、どんなカメラワークであったかも覚えているのであるが、名前と顔が一致しないのである。
 幼少の頃からである。それに気付かせたのは古谷一行と林隆三であった。今二人を見比べてみると全く顔が違っているのに驚くが、小学生の頃はどちらが出ているのか殆ど解らなかった。古谷一行が出ているドラマを見ては、「あ、林隆三」などと言って家族の失笑を買ったりしたものである。最近でこそ、AV女優と一緒に温泉につかっていたり、お笑い漫画道場の川島なおみと濃厚なラブシーンを演じたりしているスケベな方が古谷一行で、おつまみを美味そうに喰っていたりする食欲旺盛な方が林隆三であるとしっかりと区別がついていたりする。しかしそれでもそういった状況證拠に頼るだけであって、もし二人が同じドラマに出ていたりするとしっかりと区別出来る自信はない。どっちも本能のまま生きている姿が特徴であることがわたしが二人を区別できない原因かもしれない。
 あと天知茂と露口茂の区別もついていない。名前がよく似ていることが原因なのだが、しかし二人の顔がどっちが天知でどっちが露口だったのか覚えていない。たしか太陽にほえろの方が露口で、明智小五郎の方が天知であったと思うが間違っているだろうか。ウェーブがかった油っぽい髪で渋い役をやっていたのはどっちなのか、まったくもって解らない。もしかすると二人ともそういうタイプなのかもしれないが、ほんとに解らないのである。
 また作家でいうと直木三十五と菊池寛の区別がつかないことがある。どっちが直木賞をつくったのか瞬時に答える自信はないのである。たしか直木賞というくらいであるから、菊池寛の方が直木三十五を称えて直木賞を作ったはずであるのだが、速押しクイズだと二分の一の確率で間違う自信があるのである。ついでに司馬遼太郎と大木凡人の区別もつかないし、志賀直哉は小説の神様だったか小僧の神様だったかの区別も出来ていない。
 おそらくこういう間違いが起きてしまうのは、わたしの思考パターンに問題があるのだと思う。例えば先の古谷一行と林隆三のを例にとると、何故か、
 「古谷一行<林隆三」という不等式が浮かんでしまうのである。何故古谷一行小なり林隆三であるのかわからないが、なんとなくそう思ってしまうのである。これなんかはまだ良い。一応不等式であるので、かろうじてだが両者を判別できるのである。
 「天地茂+太陽にほえろ=露口茂+明智小五郎」などと考えてしまうとこれはどうにもならない。天知=明智小五郎、露口=太陽にほえろという等式が成り立っているのであれば、上記の等式も当然だが成り立つ。成り立ってしまうのだから余計にこんがらがってくるのだ。
 「司馬遼太郎−歴史=大木凡人」という等式も更にややこしい。両者を別けるのが唯一歴史だというのもどうかと思うが、頭に浮かんでくるのだから仕方ない。ついでにこの等式は、「司馬遼太郎=大木凡人−実は芸能界最強」でも可である。
 「志賀直哉=神様(小僧+小説)」などと神様で括ってみたりもしてしまう。じゃあ何か。志賀直哉を神様で割れば、小僧と小説になってしまうのか。己の思考だけに誰に突っ込んでいるのかわからないが、とにかくそういうことになる。
 こういうものの中でもこれだけはよくわからない。
 「ピー子−ファッション<おすぎ−映画」である。厳密に言うと「おすぎ−ファッション小なりイコールおすぎ−映画」なのかもしれない。本来ならばイコールで結ばれるべきだろうが、どうしてであろうか、おすぎの方が僅かではあるが大なりという印象を持ってしまっているのだ。
 こういう風に考えてしまうから人を区別するのが苦手になったのかもしれない。


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