其の11 岡田君


 人には触れてはならないことがあるとともに触れてみたくなるものもある。例えば四十代の人に、
「やっぱ白いギターって憧れですよね」とか、
「なんのかんのいって安保反対って言っても出来たことといったら岸内閣を倒したことだけですよね」とか言ってみる。
 白いギターはその人の羞恥心を煽り、安保反対は怒りをかう。当然その人がどういう生き方をしてきたかによるのだが、こんなのもあるかもしれない。
「ビートルズの右端は今座布団配ってますよね」
 これはビートルズとともに青春を過したおっちゃんおばちゃんを怒らせるであろうし、その世代より少し下の世代ならば思わずみかんを手にとるかもしれない。
 そうは言ってもわたしの世代でもこういうタームはあって、それは当事者だけに色々と思い付くのであるが、例えば、「こたつを見るとしゃもじを持ちながら乗って見たくなりますよね」とかこういうのはわたしにとってはジャストミートだ。しかしホームランではない。クリーンヒットというところか。追加で「小松政夫」と言われるとツーベースヒットになるかもしれない。余談だが、この雑文自体も余談なのであるがそれはおいておくとして、心理テストで電線には何羽のスズメが止まっていますかと中学生に言われ思わず「三羽止まってた」と言ってしまうということがあったのだが、これは本当に余談だ。
 これなんかはスリーベースコースだ。
「カックラキン」
 今タイプしているだけでもう笑ってしまう。なんなんだ。このカックラキンって。何の意味があるのだ。笑いながらナオコ婆さん縁側日記に爆笑していた頃を思い出す。本当に面白かったのか今疑問に思うのだが、まあそれは良い。
 しかしわたしにとってのホームランはこれだ。
「ズンズンチャチャズーンチャチャズーンチャチャズーンチャチャ」
 もう手が腰に行きそうになるがそれは堪えよう。ついでにフォークを咥えるのもやめておこう。今更説明は要らないだろうがこれはひげだんすである。ヒゲダンスだったかもしれない。「八時だよ! 全員集合」の中で一時代を築いたコーナーである。ほんと他愛もない代物で只々志村ケンと加藤茶がひげをつけながら踊るだけであるのだが、それだけに印象深いのかもしれない。当時はこのひげだんすが始まる前のコーナーであったか、合唱団のコーナーというのがあって志村ケンが「いっちょめいっちょめ、わーお」という方が面白かったという印象があったのだが、しかしその面白さは歌の内容であったりするため細部を殆ど覚えていない。ゆえにひげだんすの方が印象深い。余談であるが、このひげだんすは当時の小学生を風靡した代物でやけに給食の時間の放送でかかっていたのであるが、あるとき担任の教師の気まぐれか意地悪かはわからぬが、「ズンズンチャチャ」という音楽が流れるやいなや「班長全員起立」といい「ひげだんすを踊らない班長は班長を辞めさせる」と言い出したのである。小学生にとっては班長はステータスである。もう気付いておられるだろうがわたしは幼少の頃から非常に優秀であり、クラスの中で最初に九九を諳じ、割合の授業のときも教科書を一読しただけでその極意を掴んだほど優秀であるため、やはり班長であった。周りの班長たちは戸惑いながらもゆっくりと手を腰にあてて上下に揺らしている。流石にその場からリズミカルに動きまわるものはいない。わたしは何故か出来なかった。今ならひげだんす中のひげだんすをオーバーアクションで満面の笑みを浮かべながら踊ることができるのだが、当時はプライドがあったのだ。教師はわたしだけがひげだんすっていないことに気付いた。「○○以外は座りなさい」○○はわたしの名字である。教師は怒っている。「どうしてしないの?」「いや」「他の班長みんなやってるやろ」「で、でも」教師のテンションが上がってゆくのがわかる。わたしの給食は冷めてしまっていた。わたしは咄嗟に言い訳として「ひげだんす、嫌いだから」と言ってしまった。今更ながらに情けない発言だ。その当時今以上に大好きなひげだんすを言い訳だといえ嫌いなどとよく言えたものである。わたしは優秀ではあったが幼少の頃から卑怯者でもあったのだ。「踊りなさい」「いやです」「踊りなさい」「いやです」という問答が数回繰り返された後、「やっぱり班長くびやな」と教師がぽつりと言った。そのあと「別にいいです。班長辞めます」と言ってしまったのである。本当の所班長などというものは面倒であるだけでわたしにとってどうでもよいものだったのだ。それがこれから起こる悲劇のファンファーレだったのだ。怒りに震える教師は大声で叫んだ。
「なんでこんなこともできないの! 岡田ーー、見本見せたれ!」
 ミクラスを呼び出すモロボシ・ダンのようなかけ声と共に、班長の中でも一番のひげんだんすの使い手であった岡田君がすくっと立ち上がった。ニカッと笑い顔をつくり、そしてわたしめがけてひげだんすで近寄ってきたのだ。
 ズンズンチャチャという音楽に合せて岡田君はひげだんすを踊り、慌てずゆっくりと途中他の子の牛乳を飲むなどのパフォーマンスをみせながら近寄ってきた。わたしはあっけにとられながら岡田君を見ていた。わたしの側までやってきた岡田君はわたしの顔を覗きこんだり、耳元で「ズンズンチャチャ」という鼻歌を聴かせたり、それはもう楽しそうにひげだんすを踊っていた。岡田君はスーパーヒゲダンサーだ。そして教師は言った。
「な、岡田は立派やろ。みんなを楽しませるためひげだんすをきちーっと踊って。これが班長というものなんやで」ちょっと泣きの入った語りで、そして満足そうである。ひげだんすを踊るのが立派かどうかは別にして岡田君は素晴らしい班長だった。
 とまあこれは余談であったのだが長すぎたことはまあ良い。こんなエピソードもありつつ「ひげだんす」というタームはわたしにとってのホームランなのである。
 最後に岡田君である。中学時代は同じクラブで共に汗を流したのであるが、そこでも彼は持ち前のリーダーシップでもってキャプテンをつとめた。わたしは副キャプテンであったのだが彼の力のみでクラブを引っ張りわたしは何もしてないも同然であった。最近は全く顔を合せることはないが、噂によると岡田君は立派に社会人としてやっているようである。それでもわたしの心の中の岡田君は未だにスーパーヒゲダンサーなのである。


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