其の175 なくしてしまうのだ


 これまで数え切れないほどの物をなくしてきた。物心ついてからだけでも小学生の頃大事にしていた超合金のロボットをかわきりに、まんがや雑誌やレコード、古くなったギターの弦、お菓子の袋、壊れてしまったマウス、小遣い、喫いおわった煙草、飲みおわった缶コーヒー、友情、愛、信頼、誠実さ、真面目さ、若さ、スリムな体型、売り払ったCD、ギターテクニック、貯金、友情、愛、信頼、誠実さ、真面目さ、若さ、スリムな体型、売り払ったCD、ギターテクニック、貯金と、ざっと挙げてみるだけでこれだけの物をなくしてしまっている。人生というのは物をなくすことなのかと思えるくらいなくしてしまっている。かろうじてまだ残っているのは端正なマスク、全人類を愛するくらいの器の大きさ、どんなことにも立ち向かう勇気、どんな困難にもへこたれない強靱な精神力、毎日カレーばかり食べても飽きない強靱な精神力、後ろから棒で突かれてもへらへら笑ってごまかせる強靱な精神力、哲学書を買っただけでわかったような気になる強靱な精神力、自分を端正なマスクの持ち主だと言い張る強靱な精神力くらいのもので、なくしたものの多さに今改めて驚いている。
 どうしてこんなに物をなくしてしまうのか自分でもわからないが、少なくとも豊臣秀吉のせいではないはずである。ましてや富士山のせいではないし、田中さんのせいでもない。そして田中さんというのは誰だかもわからない。しいて言えば自分のせいだということになるが、そんなことは認めたくはない。
 先日コンタクトレンズをなくしてしまった。ここ半年で三度目である。いい加減コンタクトレンズをなくすのに飽き飽きしている。このことからわたしが学んだことは次のようなものだ。
「なくなったコンタクトレンズを探すのにはコンタクトレンズが必要だ」
 コンタクトレンズをなくす度に痛感している。このときほどコンタクトレンズがないと不便なことはないのである。その理由は二つ考えられる。まず第一に前がよく見えないことである。そしてもう一つは目にコンタクトレンズが入っていれば探す必要がないことである。
 コンタクトレンズをなくした状況というのも不可解である。いきなり目から落ちてどこにいったのかわからなくなったというのなら諦めもつくというものだし、夜寝る前にコンタクトレンズをはずそうとしているとき、水で流してしまったというのなら諦めもつく。しかしどうも納得いかないのは朝起きてコンタクトレンズの入っているケースをあけると、どういうわけか忽然と消えてしまっているのである。ケースのどこかにひっついてしまっているのかもしれないと探してみるがどこにもない。たしかにはずしたときはケースに入れたのだが、どういうわけだかなくなってしまっているのである。不思議である。今や我家の七不思議の一つに挙げられるようにさえなっている。ちなみに残りの六つの不思議は、月末になると何故かお金がなくなっていること、月はじめになると何故かお金がなくなっていること、月の中旬になると何故かお金がなくなっていること、ボーナスをもらったのに何故かお金がなくなっていること、給料をもらっているのに何故かお金がないこと、そして残り一つはもう一つの不思議がみつからないことである。
 七不思議の話はともかくコンタクトレンズが突如として消えてしまうことは本当で、これまでなくしてしまった状況はすべてこれである。朝気づくとなくなってしまっているのである。はじめてなくしたときは、コンタクトレンズをはずした段階で落としてしまっているのに、それに気づかずケースに入れたつもりになっていたのかとも思っていたが、それ以来確実にケースに入れたことを確認してから寝るようにしているのでそれはないはずである。しかし二度三度同じようなことが起るとちょっと気味が悪い。しかし冷静に考えて対策を練るというのが現代人としてあるべき姿である。そこでいくつか原因を考えてみた。
「実はコンタクトレンズの原料はオブラート」
 考えられないわけではない。状況から考えるとコンタクトレンズの保存液の中で消えてしまっている。通常では考えられないことである。しかしオブラートならば液体の中で溶けてしまうのは当然であって、むしろこれまで溶けなかったことが不思議なくらいである。おそらくわたしの普段の行いが良いから神様が溶かさないでおいてくれていたのであろう。ただオブラートならばもっと柔らかいはずだし、オブラートを目に入れて近眼がなおるというのも聞いたことがことがない。
「誰かがわたしが眠っているのをいいことにコンタクトレンズを盗んでいる」
 これなら朝起きるとコンタクトレンズが消えてしまっているのもわかる。すべての謎が合理的に説明できるのである。そして犯人はコンタクトレンズを製造している会社か、販売している眼鏡屋に違いない。動機は十分過ぎるほどあるのである。一人一人のコンタクトレンズをこっそり盗むことでコンタクトレンズの需要を伸ばしているのであろう。謎はすべてとけた。ただ気になるのはそんなことを一軒一軒やっているのにこれまでこの犯罪が一度も発覚していないということである。
「実はケースがバミューダトライアングル」
 飛行機みたいな大きなものが突如消えてしまうくらいだから、コンタクトレンズみたいに小さなものならば何なく消えてしまうだろう。しかし説明できないこともいくつかある。何故わたしの家のコンタクトレンズケースにそんなものがあるのか。わたしのコンタクトレンズを消してしまって何の得があるのか。ここはバミューダではなく日本の片田舎である。これらのことは今後さらに研究する必要がある。
 いくつかコンタクトレンズが消えてしまった原因を考えてみたが、わからないのである。しかしよくよく考えてみるとわたしはコンタクトレンズが消えてしまう仕組みを知りたいわけではないのである。どうすればなくならないのかを知りたいのである。おそらくわたしのように年に何度もコンタクトレンズをなくしてしまう人は少なく見積もっても日本で三人はいるだろう。これだけ多くの人がコンタクトレンズが消えてしまうことに悩んでいるのだから、コンタクトレンズを造っている会社も何とか対策をとってもらいたい。それが会社の良心というものではないか。それが科学の進歩であり、社会の進歩というものではないか。それにそう何度もコンタクトレンズを買うほどわたしは裕福ではないのだ。電話代だって遅れがちなのである。
 コンタクトレンズを造っている会社にわたしは提案する。しっかりとわたしの提案を受け入れ「なくさないコンタクトレンズ」というものの開発を急いでもらいたい。急がないとわたしは破産だ。
「もっと大きくしろ」
 コンタクトレンズは小さいのでなくしてしまうのである。大きければなくさないし、落としたとしてもすぐにみつかる。できることなら半径五センチは欲しいところである。
「色をつけろ」
 透きとおっているからコンタクトレンズはなくしてしまうのである。しかしだからといってレンズの部分に色をつけてしまうとよく見えなくなってしまうから、レンズの周りに色のついた縁をつけるなどしてわかりやすくして欲しい。
「目に入れても痛くないようにしろ」
 ときどき目に入れると痛くなるし、コンタクトレンズが目の中でずれて激痛が走ることもある。そんな凶器のようなものをいつまでも販売するのは社会通念に反する。何なら目に入れなくてもいいようにして欲しい。
「できれば音楽も楽しみたい」
 これは希望だが、コンタクトレンズを使用するだけで音楽も聴けるようになると色々と楽しいはずだ。こういうものをつくればこれまでコンタクトレンズをしていなかった人も買うに違いない。
 以上四点を「コンタクトレンズ四原則」として提案したい。すぐにでも研究に取りかかり、一日でも早くわたしでもなくさないコンタクトレンズを開発してもらいたい。わたし個人の為にいっているのではない。多くのコンタクトレンズをなくしてしまって困っている人や毎日飢えのため苦しんでいる人や戦争によって苦しんでいる人の気持を代弁して言っているのである。もうわたし自身のことはどうでもいい。その証拠にわたしの提案を受け入れ、それが出来た暁にはわたしの許可なく勝手に売り出してもらっても一向にかまわないと思っている。いくらでも儲けてくれてもかまわないし、そんなコンタクトレンズを開発したという名誉を独り占めしてもらっても一向にかまわない。ただその売上げの一割ももらえれば何の文句もない。社会のため人類のため、そしてわたしの為に頑張ってもらいたい。


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