其の166 そして首に巻くのだ


 動物との真の意味でのコミュニケーションというものに古来より人類は憧れてきた。もちろん動物との交流ということであれば昔からなされてきたことであるし現在もなされている。わたしの父上などは犬のコロくんとの散歩の為会社を休むくらいであるから、もうそれはそれは心の交流がなされているのであろう。しかしそういった動物との交流は人間の勝手な解釈であって、真の意味でのコミュニケーションはなされていない。そんなものは幻想である。たとえば誰もいない家で寝ていた犬が主人が帰宅するなりダッシュで主人の元へやってきて尻尾を振る、こういう風景をみると大抵の人はこう解釈するであろう。
「御主人さまが帰ってきただワン、うれしいだワン、うれしいだワン!」
 何故か語尾が「ワン」となるのが不明だがまずこう解釈する。しかしこの解釈はあくまで人間の勝手な解釈であってどこまでいっても犬が本当にこのように考えているかはわからないものである。実際にはこう考えているかもしれない。
「めっちゃ尻尾ふりたいだけっす」
 もしくは、
「狩猟のルール、それは自然の掟以外にはない」
 もしくは、
「勝ったのはわしらじゃない、農民たちだ」
 だいたい夜中にいきなり誰もいない窓に向かって吠えだすような生き物であるから実際のところどんなことを考えているかなどわからないのである。
 いくらお互いの心は通じているはずだと人間が思っても、ワンだとかニャンだとかしか言わぬ動物たちとの心の交流は実際のところ無理であろう。
 ところが最近あるニュースを見て驚いた。それは次の商品が発売されるとのニュースであった。
「バウリンガル」
 何だか商品名だけで笑ってしまうが、その名前からもわかるとおり犬の言葉を人間の言葉に置き換えようという商品である。わたしなどはどうせ大したことを考えていない犬の言葉を理解したいなどとはちっとも思わないのであるが、人類の動物との交流欲はかなり強いのであろうか。
 この「バウリンガル」は犬の首にマイクをつけ、その吠え声を声紋分析し、人間の言葉に変換するとのことである。その声から「楽しい」「悲しい」「フラストレーション」「威嚇」「欲求」「自己表現」の六種類の感情に分け、それぞれの感情に合わせて言葉をランダムに選択し発声するという優れものの商品である。たとえば犬が「クウーン」と鳴いたとすると「バウリンガル」は「悲しい」と判定し、犬の首の辺りから、「さみしいのだワン」という声が出るというのである。実際にどのような言葉があるのかはわからないが、こういう感じになるのであろう。現在犬を飼っていないのにもかかわらず欲しくなってしまった。おそらくあたりさわりのない言葉が選ばれているのだろうが、それでもどんな言葉を犬が発するか想像するだけでわくわくしてくる。
「おお、よしよし、お腹すいたの? お腹すいたんでしゅかあ?」
「わんわん」
「チュウシャジョウノ・カベニ・マーキング・シ・タ・イ」
 その鳴き声から「欲求」の感情が選択されたのである。
「そうじゃなくてお腹すいたんでしゅよねえ?」
「わんわん」
「ワレ・オッサン・コンクリ・ツメテ・ナンコウ・シズメタロカ・ンー」
 その鳴き声から「威嚇」が選ばれたのである。
 かなり興味をそそられる。
 そんな「バウリンガル」であるが、この「バウリンガル」の使用方法についてわたしがまず考えたのは通常通り犬の首に取り付けることではなかった。それはこうである。
「人間の首につけてみる」
 首輪のような物をつけた大人の男、独身、三十歳、カレー好き。かなり情けないことになってしまっている。しかしそれでも人間の発する声にどう反応するかへの飽くなき探究心は抑えられない。
「わんわん」
 独り部屋の中で首輪をつけて犬の真似なんかすると何だか別の人種に間違われそうだが、やってみる価値はあるはずだ。
「わんわん」
「フジサン・ウナギ・オチャ」
 これはおそらく「フラストレーション」という感情が選択されたのであろうか。こんな風に使えたりもするのである。
 また何だったらその首輪状の「バウリンガル」を首に巻いて外に行ってみたりもするのである。
「ここから見る夜景はとってもきれいだね」
「そうね、今日はここに連れてきてくれてありがとう」
「君もきれいだよ」
「カレー・クイタイ」
 デートのときに犬の首輪状のものを巻きつけているのもどうかと思うが、こんなシチュエーションだってありうる、「バウリンガル」をつけていれば。
 またこういうのも考えられる。
「昨日の取り引きどうなっておるのだ」
「その件につきましては現在鋭意調査中でございまして今少しお待ちいただければと」
「コイヲ・カタルトキハ・コエヲ・ヒソメヨ」
 何故かシェークスピアが出てきたりするのである。そして仕事中に首輪をつけているサラリーマンはかなり間抜けだ。
 こんなことにも使える「バウリンガル」。発売されると同時に手に入れたいというのが人情である。
 しかし六つの感情のうち気になるのが「自己表現」という奴である。どういう言葉が選択されるのだろうか。
「わんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわん!」
「ギョウギヨク・マジメナンテ・クソクラエト・オモッタアアーーーーワン!」
「わんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわん!」
「ヨルノ・コウシャ・マドガラス・コワシテマワッタアーーーーーーワン!」
 青春のたぎるような熱い思いを自己表現している犬である。
 こういうのか、自己表現って。


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