其の159 蜜蜂大作戦


 最近もの覚えが悪くなってきているように思える。だからといって毎日家に帰る道筋を忘れてしまったり、いつ食事をしたかを忘れたり、そういったことは流石にないのだが、さっき頼まれた仕事を忘れてしまっていたり、読んでいる本の前のページを読んでいてもちっとも気づかなかったり、東海道本線のすべての駅を言えなかったり、歴代芥川賞受賞者をすべて言えなかったり、県づくしネタはダブルヤングだったかパート2だったか忘れてしまっていたり、鬱という字が書けないことを忘れてしまっていて思わぬところで恥をかいたりと、ほんの少しの記憶の定着が悪くなってきているように思える。しかしそういったこととは別に意外と幼少の頃の出来事なんかは覚えていることがある。幼い頃の出来事は普段は思い出すことはないのだが、何かのきっかけでふっとその出来事の全容が事細かに頭に浮かんでくる。
 それは二十一世紀だというのに相もかわらず痴呆面している中学生の餓鬼の言葉であった。
「蜂の巣気持悪い」
 中学三年の女の子が理科の便覧をみているときにふと呟いた言葉である。その言葉がきっかけでかつてわたしがひと夏いっぱいかけて挑んだ熱い闘いのことが思い出されてきた。
 小学四年のわたしは野球チームなどに入って元気に遊びまわっている子供であったが、それは表向きの顔で、家では司馬遼太郎の歴史小説なんかを読んで暮らす爺臭い餓鬼であった。一人で意味もなく自転車にのって淀川に映える夕焼けを見に行ったりと、今の性格に比べてもかなり落ち着いた少年であったと思う。そんなわたしが小学四年生の夏休み、どういうわけか毎日自転車で淀川の河川敷へ行くことを日課にしていた。目的はない。ただ毎日淀川の河川敷に行く、そのことだけを目的にしていたのである。
 わたしの住んでいるところは淀川の横を流れる神崎川を無理矢理二手に分けた人工的な三角州であったから、小学校の校区もそのままその三角州の内側だけということになっていた。この三角州である校区内から出ることを我々や先生は「島抜け」と呼び、保護者なしで「島抜け」することは禁じられていた。もちろんそんな規則はすぐに破るようになるのであるが、それでも友達同士で「島抜け」することには、ほんの少しのスリルが伴っていた。それぞれが何となく悪いことだと感じている節があって、それなりの言い訳、たとえば祖母の家に行く、そこに行かなければ手に入らないプラモデルを買いに行くなど、そういった言い訳を考えてからでなければ「島抜け」を敢行することは殆どなかった。
 そういうことがあってか、小学四年生のわたしは校区外の淀川の河川敷に毎日行くことを思いついたのかもしれない。
「島抜け」を日課にして数日経った頃、自転車で淀川の河川敷をぶらぶらと走っていると、阪神電車が通る鉄橋あたりで妙なものを発見した。蜂の巣である。ぶうんという鈍い音が時折通る電車の激しい音に混じって聞こえる。数え切れないくらいの蜜蜂が巣の周りを飛び回っていた。わたしの背よりも二三メートルほど上にその蜂の巣があった。距離にして五六メートルほどであろうか。暫く眺めていると、ふとこんな考えが浮かんできた。
「もしかしたらここから石を投げたらあの蜂の巣が落ちてくるかもしれない」
 それを思いついたわたしはすぐさま近くにあった小石を掴んで蜂の巣目がけて投げつけてみた。もちろん一発で当たるはずもない。そこで何度も何度も小石を蜂の巣目がけて投げつけてみた。しかし近寄ると蜂に刺される恐れがある上、もし蜂の巣に命中した場合とっさに逃げ出す必要があるので腰が退けながらの投球であるからちっとも当たらない。三十分ほど小石を投げていると、だんだん飽きてきたので、諦めて帰ることにしたのである。
 次の日もやはり自転車で淀川の河川敷まで行き、そしてぶらぶら自転車をこいでいると、昨日の場所に到着した。今日こそはという思いがあったのか、わたしは自転車から降りて昨日と同じように蜂の巣に小石を投げてみた。やはり当たらなかった。小石を二三度投げた後、急いで家に戻った。そしてあるものを持って再び蜂の巣に挑んだのである。
 水鉄砲である。幸い淀川の河川敷であるから水はふんだんにある。わたしは川の近くまで行き、水鉄砲に水を入れ、そして恐る恐る蜂の巣から大体二メートルほどのところまで近寄り、水を蜂の巣に撃ってみた。届かなかった。しかし蜂の巣の周りにいる働き蜂の一匹に当たったのである。その働き蜂は地面に落ち、そして水がついてしまった羽で何とか飛び上がろうとしていたが、飛び上がれない。わたしは喜んで何度も川辺に行き水を入れて発射した。十回に一度くらい無数にいる働き蜂のうちの一匹に当たるのである。わたしは働き蜂を撃ち落とすことに夢中になっていた。日も落ち流石に家に帰らなければ叱られると思ったわたしは後ろ髪をひかれる思いで蜂の巣を後にした。
 次の日もまたその次の日も働き蜂を撃ち落としに淀川の河川敷に行った。水鉄砲と一々川辺に行かずにすむようにバケツとをもってである。そして一時間くらい働き蜂を撃ち落として家に帰っていった。
 十日ほど経った頃、水鉄砲で働き蜂を撃ち落としても埒があかない、目的は蜂の巣を落とすことじゃないかと考えはじめたわたしは家の倉庫からポンプとホースを親に内緒で持ち出し河川敷に向かった。
 ポンプを使った攻撃は予想以上の効果をもたらした。とうとう蜂の巣への直接の攻撃が可能になったのである。ほんの少しではあるが、蜂の巣に水が当たるようになり、水が当たるたびに働き蜂が巣から飛び出てくる。その様があまりに面白かったのか、わたしは水鉄砲のとき以上に夢中になって蜂の巣目がけて水を飛ばしていた。
 しかしそのときである。巣への水攻撃が誰の手によるものか働き蜂共は気づいてしまったのである。働き蜂は一斉にわたし目がけて飛んできた。わたしは慌ててホースやバケツを放ったまま逃げだした。自転車にも乗らずにである。必死で走った。もし蜂に刺されたりすると、毒を中和するために皆に寄ってかかって小便をかけられてしまう。そんなことばかり考えながら走った。五百メートルほど走ったあと、そうっと後ろを見るともう蜂は追いかけてはいなかった。わたしはいきなり抵抗してきた蜂に言いようのない怒りを感じた。そしてこの落とし前は絶対につけてやる、そう復讐を誓いながら、家までかなりの距離を歩いて帰ったのである。やはり自転車がある場所に戻るのは怖かったのである。
 翌朝。その日は八月の三十日である。明日で夏休みは終わる。今日中に蜂の巣を撃ち落とさなければ明日は夏休みの宿題をやらなければならないので、もはや夏休みの間に蜂の巣を撃ち落とすという悲願は達成することはできない。最後の勝負である。そういった悲壮な覚悟でもって自転車に乗っかった。ジージーと蝉の声が響いている。真夏だというのに長袖のシャツに長ズボン、救急箱に入っていたマスクとバスタオルで頭を覆っている。完全武装のいでたちである。今日こそは最後の決着をつけてやる、そう誰に言うでもなく呟いた。幸い昨日の今日であるからバケツやホースや自転車はまだ残っていた。わたしは早速バケツに水を入れ、ホースから水を発射し始めた。
 小学四年生とはいえ、昨日と同じ轍を踏まないようにある作戦を考えていた。まずはいきなり水を蜂の巣にあてるのはやめておく。その代わりに蜂の巣の周りにいる働き蜂を出来るだけ撃ち落とす。そうして働き蜂の数が減ったところで蜂の巣への水攻撃を開始する。これが昨晩一所懸命考えた秘策であった。この作戦では時間がかかるだろうから午前中から河川敷にやってきていた。食事として小遣いをはたいてスーパーで買ったカールのチーズ味とキャラメルコーンを用意している。万全の体勢である。
 水鉄砲ですらかなり働き蜂を撃ち落とせたのであるからポンプを使ったホース攻撃はかなりの威力があった。バタバタと働き蜂が撃ち落とされてゆく。おもしろいように蜂が撃ち落とされてゆくさまを見ながらこの調子だと早くに決着がつくかもしれない、そんなことを考えながらポンプを足で踏んでいた。本人には蜜蜂の大虐殺を行っている意識などない。ただただ目的に向かって作戦を遂行しているだけである。
 二時間ほどして、かなり働き蜂が蜂の巣の周りから消えていることに気づいた。その成果に満足しながら水筒から麦茶を入れ食事休憩を取った。
 蜂の巣を見ても殆ど蜂はいない。そろそろか、そう言いながらバケツにたっぷりと水を入れ、戦線へともどった。
 働き蜂撃墜作戦が功を奏したか、蜂の巣への直接水攻撃に際して働き蜂は殆ど出てこなかった。もはや外堀内堀を埋められた丸裸の城である。蜂の巣の周りが水攻撃によってどんどん小さくなってゆく。はがれ落ちた巣の外郭からは幼虫のようなものがいることに気づく。それでも水攻撃は止まらない。やがて蜂の巣がぽとりと落ちた。落ちた瞬間最後の兵隊たちがわっともはや残骸としか言えない蜂の巣から出てきた。しかしわたしは冷静に彼らに水を発射した。もう蜂の巣からは一匹の働き蜂も出てこなくなった。それでもわたしは蜂の巣への水攻撃をやめなかった。蜂の巣の中身がどうなっているのか、どうしても知りたかったのだ。それには蜂の巣の中心部分まで外郭をはがさなければならない。わたしは少しずつ近づきながら水をかけつづけた。
 やがて蜂の巣の中心部分が露出してきた。そしてとうとう女王蜂が姿を現した。他の働き蜂とは違ってかなり大きな女王蜂は毅然とした態度で侵略者と対面することを決意したかのようだった。そしてわたしは最後の仕上げに女王蜂に水を発射しようとしていた。そのときである。女王蜂の周りにまだ働き蜂が飛んでいることに気づいたのである。たった四匹であった。おそらく最初は数百以上の働き蜂がいたのであろう。しかし数日に渡る水鉄砲による攻撃とホースによる水攻撃によってたった四匹になってしまったのである。そしてその四匹の働き蜂は女王蜂の周りから離れることなくわたしの方を向いて飛んでいた。あたかも女王を守る近衛兵のようにである。わたしはその姿を見て背筋が凍るような恐怖を感じた。そして道具をバケツに放り込み自転車に乗ってその場から全速力で走り去ったのである。
 それから淀川の河川敷に行くことはもちろんなかった。
 こういった出来事などはふとした瞬間に思い出すことがある。しかし小学生とはいえ蜂の巣を撃ち落とすことにひと夏をかけてしまうというのもどういうつもりだったのか未だによくわからない。


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