其の155 カエルくん


 幼い頃よく観ていたアニメーションに手塚治虫の「ふしぎなメルモ」というのがある。「メルモちゃん、メルモちゃん、メルモちゃんーーが持ってるうう、赤いキャンディー、青いキャンディー、知ってるかあい」という奴である。もちろん毎回楽しみに観ていたのだから赤いキャンディも青いキャンディも知ってるし、メルモちゃんが大人になったとき服が小さいままなのでパンツが丸見えになり、そんな状態にもかかわらず尻を振り振りすることだって知っていた。そしてそれを楽しみに毎回観ていた。このアニメーションはメルモちゃんが不思議なキャンディを舐めることによって大人になったり(正確にいうと大人の身体に)また元の子供になったり、キャンディの量を間違えて赤ん坊になってしまうことによっておこる様々な騒動が中心なのであるが、途中から単に大人になったり子供になったりするだけでは話が続かなくなったのか、赤いキャンディと青いキャンディを適当に配合して飲むと他の生物になってしまうというのがあった。ヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」という言葉からのアイデアだったのかもしれないが、キャンディを飲むことによって、一旦受精卵レベルまで戻しそしてその発生を途中で止めることによって他の生物になってしまうという説明があったような気もする。メルモちゃんが大人になって短いスカートを振り振りするところ以外はそれほど真剣に観ていたわけではないのであまりよく覚えていないが、個体が発生する過程においては魚類だの両生類だの爬虫類だのとその胚がほぼ同じ形態である、ということは何となく理解していた。しかしここで当時のわたしはかなりどうかと思われる勘違いをしてしまっていたのである。
「もし母上が途中でわたしを生んでしまっていたらわたしはカエルだのトカゲだのになってしまっていたのだ」
 生まれて初めて母上に感謝したのはこのときである。このときほど心底母上に感謝したことはなかった。今から考えればそんな器用なことが出来るのならこの世は人間以外を生んでしまった母親が山のようにいると思うのだが、当時はそんなことは考えなかった。ただただ母上に「よくぞ我慢してわたしを人間として生んでくれた」と思ったのである。周りにトカゲを背負いながら買い物かごを片手に刺身を物色している母親など一度も見たことがなかったくせに、ひばり書房から出ている恐怖漫画でイグアナのような子供を生んで可愛がっている母親の絵を見たというのもあって、何となくそういうものだ、と考えていたのである。まったく馬鹿な子供である。今だって馬鹿には違いないが流石に人間がイグアナなどを生んだりはしないということくらいはわかっている。ちょっと考えてみればわかることでも小学生というのはそこまで深く考えないものだからついつい馬鹿な考えに囚われたりしてしまうことは、現在わたしは身をもって体験していることで、たとえばそれは小学生の村上くんが日本の裏側に住んでいる人は逆立ちしていると思っていたなど、枚挙に暇がないほどである。リオのカーニバルはみんな逆立ちでやってるのかいと突っ込みたくもなるが、小学生というのはそういう風に考えてしまうものである。
 しかし実際にわたしがカエルだったらかなり困ったことになっているに違いない。
「というわけです、わかりましたかゲロゲロ?」
「質問してもいいですか?」
「いいですよゲロゲロ」
「ところで、雌ガエルは鳴かないんですか?」
「だあからこっちで鳴いてるんだよお! ゲロゲーロ!」
「いちいちそれを言う度に教室の端っこへ飛ばないでください。わかりましたから次の問題に入ってくださいよ」
「わかったゲロ。では三十七ページの五番ですが、この問題の場合は……ゲロゲロ……ん、ゲロ? ゲロゲロゲロ! ゲロゲロゲロゲロ!」
「ど、どうしたんですか! 急にゲロゲロばかり言って」
「……雨が近い……ゲロ」
 などとなってしまい仕事にならないことが予想される。
 さらにおそろしいことにこんなことを言われたりするかもしれない。
「実験してもいいですか?」
「な、何をゲロ?」
「背中の皮膚とお腹の皮膚を入れ替えるんです」
「だ、誰の皮膚をですかゲロ」
「もちろんカエルです」
「ひいい、やめろゲロ、やめてゲロゲロ! やめるのだゲロゲロ!」
 などと仕事中に背中の皮膚とお腹の皮膚を入れ替えられてしまい、背中に刺激を与えられるとお腹に刺激があったと勘違いしお腹を触ってしまうのだ。そしてお腹を触られると背中を触られているように感じて背中を触ってしまう。そして皆に笑われてしまう。悔しいことこの上ないではないか。
 カエルとして生まれなくて本当に良かった。
 また山羊だったりしてもかなり困ったことになってしまう。
「これからこの間の模擬テストを返しますメェー」
「ええええ! もう返ってきたのおお!」
「静かにするメェーよ。良かった人は次も頑張ってくださいメェー。そして悪かった人は間違いをきちんと直して次に繋がるよう努力してくださいメェーよ」
「くそう、出来たと思ったのに……」
「菊池くん、惜しいところがたくさんありましたメェーよ。ですから落ち込まずに次頑張ってくださいメェー」
「こ、こんなテスト、こんなテスト……」
「どうしたメェーか?」
「……食わしてやる。えい!」
「や、やめるメェーよ! そんな大事なテストをわたしの口に入れ……モシャモシャモシャモシャ……美味いメェー……はっ! いけないメェーよ、どうしてそんなことをするメェーか……」
「えい、俺のも喰っちゃえ」
「服部くんまで、何するメェーか、やめるメェーよ……モシャモシャモシャ」
 などとテストや手紙の類をついつい喰ってはモシャモシャ言わせてしまうことが予想される。
 さらにこんなことをされるかもしれない。
「最近毛が伸びてきましたね」
「そうだなメェー。そろそろ散髪にいかないとメェー」
「じゃあ、刈ってあげます」
「ええええ、わたしはちゃんとした美容院でないと駄目なんだメェー、やめるメェーよ、やめるメェーよ」
 そして気づくとパンチパーマをあてられてしまっているのだ。そして羊と間違われるのである。さらに「囲いこみ」だの「エンクロージャア」だのと影で言われてしまうのである。その上隙あらば紙を喰わせられるのである。悔しいことこの上ないではないか。
 山羊として生まれなくて本当に良かった。
 子供の頃わたしは毎日風呂の掃除を手伝うのが日課となっていた。しかしわたしのことだからちょっと油断していると面倒になってしまうのである。あるときあまりに家の手伝いをしないわたしに向かって母上はこう言った。
「この、ナマケモノがあ!」
 もしかしたら母上はきちんと人間に育つまで我慢しきれずわたしを生んでしまったのかもしれない。


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