其の137 結ぶの大好き


 現在のハンサムでいて知的、そして口元にこびりついたカレーを拭き取りもしないワイルドさをも兼ね備えたわたしのルックスからは想像できないかもしれないが、かつては非常に真面目な少年であって、真剣に世の為人の為に働こうと志していたこともあった。今思えば自分の世話もできない輩が社会に役立つ人間になろうと志すとはまったくナンセンスであり、己の器量をわきまえない者の戯言だと一笑に付してしまうが、それでもあの頃は純真であり真剣に素晴らしい大人になろうとしていて、まさかこんな駄目人間になるとは思いもよらなかった。もしあの頃のわたしが今のわたしのドブ川のような生活を見たならばおそらく将来こんな情けない大人になるくらいならばと、その場でカレーの食い過ぎで自殺していることであろう。それくらい百八十度別の人間になってしまっているのである。共通点といえばカレー好きだということと口元にこびりついたカレーによって醸し出される不良っぽいルックスくらいである。何とも情けないことになっているのだ。ごめんよあの頃の俺。
 いくらこんなところで昔の自分が如何に良い子だったかを語っても誰も信じないと思うが、実際良い子だったのはたしかでその證拠にわたしは小学二年生の頃から中学一年までの間ボーイスカウトなる集団に属していたのである。ボーイスカウトなる団体を知らない人ならば「ボーイスカート? 何それ? 男の癖にスカートをはくのか、バグパイプ吹きながら。嗚呼アンソニー」などと考えてしまうかもしれないが、実際のところ非常に硬派な団体で身体を鍛えそして世の中の為に働く立派な大人になることを目標とした団体である。もちろんスカートなんかはいていない。よく駅前なんかで募金活動をしているタミヤのミリタリーシリーズ「砂漠の鼠」に出てくるような軍隊チックな茶色い制服を着たあれである。その存在は認識していてもボーイスカウトという団体の実体を知らない人からすれば彼らボーイスカウトを見かけるのは大概駅前の募金活動であるから、もしかしたらプロの募金屋さんと思っている人もいるかもしれないが、実際の活動は週に一度集会を開きそこで様々な訓練することにあるのである。ボーイスカウトというのは俊敏な身のこなし、どんな困難にも立ち向かう精神といったものを育てるところであるのだが、しかしそんな崇高な目標の元に集められた少年といえども、所詮は小学生か中学生の餓鬼なのでそれなりに遊びもないと誰も入ろうとは思わない。そこで年齢毎に、小学生のうちは出来るだけ遊びの要素の多い訓練を、そして中学生になるともう少し厳しい訓練をといった感じで別々の集団を作っているのである。小学生のうちはカブスカウトと呼ばれる組織で、小学六年になるとボーイスカウトに昇格する。何だかボーイスカウトの下部組織がカブスカウトだとしょうもない言葉遊びのようだが、このカブというのは何でも「狼の仔などの動物の仔」の意味だそうで株だとか下部だとか蕪だとかは無関係である。わたしは小学二年生のときに参加したのだから最初は「狼の仔」という意味のカブスカウトであった。
 制服からも何となくわかるがボーイスカウトというのは軍隊に似たところがあって、厳格なヒエラルキーが存在し、このカブスカウトの次はボーイスカウト、そしてシニアスカウト、そしてローバースカウトと続く。そしてその頂点に君臨するのが「富士スカウト」という奴である。これまでずっと英語なのにここにきて「富士」などという日本語丸出しの非常に語呂の悪いものであるが、これは名前の間抜けさとは裏腹に厳しい試験をくぐり抜けた素晴らしい人格者しかなれないもののようだ。わたしが所属していたボーイスカウトでも一人だけこの富士スカウトというのがいて、やはり素晴らしい人格者であった。キャンプか何かの帰りの阪急電車内で堂々と恥じることなくボーイスカウトの制服のまま途中拾ったエロ本を眺める富士スカウトを見て、「こんなに堂々とエロ本を眺めるなんて凄い、さすが富士スカウトだ」と子供心に尊敬したものである。そしてヒエラルキーはこれだけではなく、カブスカウトならその中でもまた厳格なヒエラルキーが存在する。まず入隊当初は「うさぎ」という資格を与えられる。別段温泉の効能を説明しなければならないわけではない。この「うさぎ」というのはカブスカウト内の年少組さんみたいなもので、次は「しか」、そして「くま」と続く。カブスカウトにおける最高学年は五年生だから普通は五年生になれば「くま」になる。ところがこの「うさぎ」「しか」「くま」、なかなか侮れないところがあって、学年が上がったからといって次の「しか」だの「くま」だのに進めるわけではない。非常に厳しい課題があって、それらの課題をクリアしなければ「うさぎ」は「しか」に「しか」は「くま」に成れないのである。たまに鈍臭い人もいて、いつまでたっても「うさぎ」のままの同級生もいたりするのだが、そのボーイスカウトの体面からか、表立って苛めたりすることはないのだが、その男は「うさちゃん」とこっそり呼ばれていたりするのである。こういうのは入隊したらすぐにわかることなのでカブスカウトに入った者は「ああ、はやくしかになりたいなあ」だとか「あいつ、もうくまだって。すごいなあ」などという台詞を素面のまま話すことになる。妖怪人間じゃあるまいし「はやくくまになりたーい」などと叫ぶのは今思えばちょっとどうかと思える。そういえばこのカブスカウトで「しか」なり「くま」なりに昇進する為に必要な課題の中に「毎日家の手伝いをする」というのがあって、そんなことちっとも守っていなかったわたしはどうしても「くま」に昇進したいが為、親に頼み込んで「毎日しっかりと風呂掃除と皿洗いを手伝ってくれます」という嘘のコメントを書かせたことがあって、その代りに三ヶ月小遣いなしという非常に厳しい取り引きをしなければならなかったことがあった。
 このボーイスカウトの訓練というのも今思うと妙なものであった。かまどの作り方やマッチ一本で薪に火をつけることやテントの張り方などアウトドアに役に立ちそうなものから、国旗掲揚の際のマナーという、大人になってから役に立つのかどうかよくわからないものまであった。またロープの使い方なども重要な課題である。今となっては殆ど覚えていないが、こういうときはこの結び方が良いというのも覚えなければならなかったし、そしてその種類もかなりの数があった。何十種類もあるロープの結び方を覚えることに何の意味があるのかわからないが、もしかしたら将来SMマニアになってもしっかりと亀甲結びが出来るようにするための訓練だったのかもしれない。ロープ結びの訓練で覚えているものが一つあるのだが、それはある支柱から半径二メートルくらいの円を描き、そしてそのラインに入らずにその支柱に特定のロープ結びをしなければならないというものなのだが、現実的にそういう状況に陥ることがあるのかどうかちょっと想像できない。もしかすると二メートル以上離れたところにいるマゾヒストをしっかりとロープで縛るのに役に立つのかもしれない。
 わたしなどは中学一年のときに辞めてしまったものだから、そこで得た知識なり技術なりはまったく覚えていないし役に立っていないのだが、大学生になってもずっとボーイスカウトの活動を続けている者はなかなか侮れないところがあって、彼ら「大人のボーイスカウト」はどんな状況に陥ってもまったく慌てることなく冷静に対処することができるのである。わたしの知る「大人のボーイスカウト」は皆どんな困難にも立ち向かうタフな精神と素晴らしい技術を持つ人であった。たとえばある「大人のボーイスカウト」の車はかなりポンコツである為よくエンジンが止まる。しかし彼は慌てない。すぐさま電話ボックスに駆け込む。もちろんジャフに電話するのではない。友人に車を持ってくるように言うのである。そして到着した途端理由を説明することなく、後部座席からロープを取り出しやってきた友人の車と結び、牽引させるのである。もちろんここで結ばれたロープはボーイスカウト仕込みである為簡単には外れないようになっていて、どんなに荒っぽい運転をしようともそのロープは外れないのである。また別の「大人のボーイスカウト」は「夜のボーイスカウト」でもあって、夜中に酒を呑みに行った際、隣に女の子が数人座ると何やら怪しげなパーティグッズを持ち出し隣の女の子たちの気をひく。最初はキャンプなんかでやるゲームのようなものなのだが、徐々に酒を女の子に呑ませるよう仕向けるゲームへと移行する。そして場は彼の主導権のもと、何だかよくわからないことになっていて、気づくと彼はその女の子のうちの一人と何処かへ行ってしまっているのである。そして残されたわたしは釈然としないままとぼとぼと一人家路へと向かうことになるのである。侮り難し。「夜のボーイスカウト」。
 こんなボーイスカウトであるが、調べたところによると現在世界には二千五百万人のボーイスカウトが日々訓練に明け暮れているという。そのうち日本にはだいたい二十五万人程の現役ボーイスカウトがいるという。わたしのように途中で辞めた者を含めて考えると五百人に一人以上がボーイスカウト経験者なわけである。結構な割合である。彼らボーイスカウトは何処にでもいると考えた方が良い。
 晴の日と雨の日とで旗の掲げ方が異なっていたら、その守衛さんはボーイスカウトである。
 登山の際ポケットから飴なんかを即座に取り出したならば、その山男はボーイスカウトである。
 キャンプに行ったとき十分以内にテントをはれるのなら、そのアウトドア男はボーイスカウトである。
 もやい結びは舟を繋ぐのに適しているんだってねえと語りだしたら、その海の男はボーイスカウトである。
 日の丸の歴史についてよどみなく語れるのなら、その右翼はボーイスカウトである。
 手をあげるときつい三本指だけを突き出していたならば、その男はボーイスカウトである。
 握手をするとき何だか複雑な指の形をしてたならば、その握手の相手はボーイスカウトである。
 ネクタイをついついネッカチーフと言ってしまうならば、そのサラリーマンはボーイスカウトである。
 キャンプに行くときついジャンボリーに行ってくると言ってしまうならば、その男はボーイスカウトである。
 スカウトという言葉の原義が「斥候」であると知っているならば、その男はボーイスカウトである。
 ハイキングのことを「ハイク」と言ってしまうならば、その男はボーイスカウトである。
 誓いというと、一つ、神(仏)と国との誠を尽くしおきてを守ります。一つ、いつも、他の人々をたすけます。一つ、からだを強くし、心をすこやかに、徳を養います、と言ってしまうならば、その男は正真正銘のボーイスカウトである。
 手近にロープがあるとつい巻き結びをしてしまうならば、その男はボーイスカウトである。
 合コンの際、何だか細かいゲームだとかをしている人がいたら、その軟派な男は夜のボーイスカウトである。
 車に女性を連れ込んだあと、人気のない山道へと向かい、そしてそんな山道に詳しいならば、その男も夜のボーイスカウトである。
 カレーの特盛りを頼んで、周りの者がすべて喰い終わっているのにもかかわらず泰然とカレーを楽しんでいるならば、そのハンサムな男はカレー好きの元ボーイスカウトである。
 ぷりくらなんぞ馬鹿にしていた癖に女の子と一緒に撮ったぷりくらを嬉しそうに知り合いの雑文書きのパソコンに貼りつけたりしているならば、その男もカレー好きの元ボーイスカウトである。
 思い出して欲しい。こんな輩はあなたの周りに一人はいるはずである。その男は隠しているかもしれないがかなりの確率でボーイスカウトに手を染めた男である。ボーイスカウトの精神は立派なものであるからといって安心してはいけない。彼らボーイスカウトはどんな状況に陥ってもへこたれないタフな精神を持っているのだ。たとえばボーイスカウトの男に別れ話を持ち出して、そのまま走って逃げようとする。しかしボーイスカウトは慌てない。ポケットの中から十メートルのロープを持ち出してあなたを捕まえるはずだ。ボーイスカウトの訓練には何故か「輪投げ」という種目もあるのである。


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