其の121 彫るのである


 刻むという行為は人を熱中させるものなのか。たしかに人の人生というものは長いようで短く大きな歴史の流れからすれば塵に等しい。それゆえ人というのはその存在を誰かに知らしめる為に、そしてその存在を未来へ残す為に何かに刻むのであろうか。考えてみればこのような雑文なるものを書くという行為もわたしの存在を残す為であると言えないこともなく、その上誰かから望まれて書いているわけでもないのだから純粋に自己の存在を第三者に刻み込ませる行為でもあるのだろう。まったく恥ずかしい限りである。などと自省している振りをしながらもこれからも恥ずかしい雑文を書くのだろうなと自己を突き放してみたりもするのだが、それはわたしが駄目人間であるという理由だけでなく、それなりの年月を過してきたからである。しかし年端もゆかぬ餓鬼共はわたしのように奥ゆかしい自省などすることもなく、大した成績もとっておらぬ癖に大いにその存在を主張するものなのである。たとえばである。彼らはシャープペンシルの先でもって、彼らの存在の証しの象徴とでもいう記号なり文字なりを刻み込むのだ。
 まずもっとも多いのが「SEX」という文字である。彼らは貴重な時間を削ってまで彫り込むのである。そんな文字を机に彫り込んでどうするというのだ。それが何だ、彼らの幼い性欲を満たすとでもいうのだろうか。興奮でもするのか。それとも次に座った女子に見せつける為なのか。よく解らないのである。試しに廃却する机にわたし自身仕事の合間をぬって彫り込んだところ、誰が見ても立派な「SEX」を彫るまでに約三十分かかった。三十分というとかなりな時間である。そして自分のしている行為を客観的に考えられるのに充分な時間である。事実わたしは彫り込んでいる間中、ずっと「俺は何をしているのだ、深夜の一時も過ぎたというのに何故SEXなどという文字を刻まなければならないのだ」と考えつづけていた。それほどの集中力があるのならもっとしっかりした人間になるはずだ、などと考えたりもしていた。そんなこと苦にもならぬようで餓鬼共は己の貴重な時間を使い、そして大した集中力をもって刻むのである。
 また好きな人物の名前を刻むことも多い。アイドルタレントの名前を刻むのであるが、普段まったくテレビを観る習慣のないわたしであるからそれがどういった人物なのかよく解らないのである。「カスケード」「ラルク」「グレイ」「スマップ」など、その人物なりグループなりを机に刻み込んでどういう意味があるのか理解に苦しむ。一度まさに彫り込もうとしている餓鬼をつかまえてどういう意図があるのか詰問したことがある。
「机に文字を彫り込んだりしてはいけないという規則があるのは知っておるな」
「うん、知ってる」
「幸いわたしが見つけたから良かったがもし君が机に彫り込んだのがばれていたら弁償しなければならなかったところだぞ」
「うん、ごめんなさい」
「よし、素直に謝ればよろしい。ところで何を彫ろうとしていたのだね」
「あんまり考えていなかったんだけど、ええとカスケードって彫ってたかな」
「うむ、何だそれは。ウィルスか何か知らんが、そういうのを机に彫り込んでどうするのだ」
「ちがうよ、バンドの名前だよ」
「うむむ、わかったぞ。それはラテン語で虹という意味なのだな」
「ちがうって。そういうバンドがあるんだって」
「わかった。中国語で虹という意味なのだな」
「ほんとに知らないの?」
「いや、知っているぞ。敢えてどんなバンドかは言わないが。それは兎も角、君たちは何故机にバンド名を彫ったりするのだ」
「ううん、よくわかんないけど。もしかしたらわたしと同じバンドを好きな人がここに座るかもしれないでしょ。そうしたら面白いかなとか思ってかなあ」
「ううむ、なるほど。同胞を見つける意味もあるのだな。それは解るが今後こういうことをしたら君の額に『肉』とシャープペンシルで彫り込むからな」
 結局、今ひとつ彼らの情熱を理解できないのである。
 また古い机なんかを見たりすると、古より連綿と続くアイドルタレントの系譜が解ったりしてなかなか趣き深い。「木村拓哉」「広末涼子」「華原朋美」、このあたりは最近のものか。「吉田栄作」ううむ、未だアメリカで皿洗いをしておるのであろうか。「加勢大周」、新加勢大周っていたなあ。「郷ひろみ」「西城秀樹」「田原俊彦」「伊藤麻衣子」、これはちょっと古いぞ。「能勢慶子」「浜田朱里」、おお赤いシリーズではないか。「おりも」「えぎ」、いつからあるんだ、この机は。机に突っ込みを入れたりするのである。
 それでもタレントの名前を彫り込む行為はまだわたしが理解できる範疇である。好きなものを書くという行為は昔より為されていたことであるし、わたしの中学生の頃の友人の斎藤君は大学ノートの全てのページに彼が当時好きだった女子の名前を書いていたというちょっと気持ち悪い例も知っているのでまだ理解できる。そして机に彫り込むのはその延長にあるのだろう。しかし、これはちょっとどうかと思われるものも彫り込まれていたりするのである。
「有馬記念」
 なんとなれば有馬記念だ。中学生だろ、君は。取った記念なのか。それともそのレースに感動でもしたか。まったく理解に苦しむのである。またこんなのもある。
「I Lave You」
 おいおい、スペル間違ってるよ。誰が英語を教えているんだ。それになんだ、折角机に彫るんだからせめてスペルのチェックくらいするのが礼儀というものだろう。
 このように色々と彫り込まれた机を眺めるのはそれなりに楽しいのである。と、ここまで書いてかつてわたしも中学生の頃学校の机に彫り込んだことがあったことを思い出した。卒業する寸前、音楽教室の机に授業中彫り込んだのだった。
「ライト・ハンド」
 何が言いたかったんだ、中学生の頃の俺よ。


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