其の113 転職万歳


 類は友を呼ぶとでも言うのだろうか、わたしの周りには駄目人間が通常の密度以上に生息しているのであるが、彼ら駄目人間というのはどういうわけだか知らぬが、よく転職する。それも非常に気軽な理由でもって転職するのである。理由として挙げられるのは「飽きたから」「面白くないから」「俺のギャグセンスを解ってくれる人がいない」「金を貸してくれない人が多過ぎる」「煙草を喫うと嫌がる人がいる」「音楽の趣味が合わない人が多い」「仕事をサボると叱られる」などなどで、一人として向き不向きだとか己を高めるだとかいう崇高な理由でもって転職する人間が皆無であるというのが駄目人間の特徴である。かくいうわたしも転職したいと考えることもあるのだが、日々の生活に追われて転職もままならない状態である。転職暇なしというが、忙しいのである。しかし今年もあとわずか、そして来年は一九九九年ということもあるし、このままでは「転職をしたいときには地球なし」という状態になりかねない。であるからして、せめて転職の準備として、考えておかなければならないことは出来るだけやっておこう、そう思うのである。
 それで転職に関して取り敢えず今出来ることは履歴書を用意するということくらいであろうか。履歴書というのはその人となりを学歴なり職歴なり趣味なり資格なりを表すものであるが、結局のところ「わたしはこれほど実力があります。だからわたしを採用すると得しますよ」ということをアピールするものである。履歴書に「わたしは駄目人間です」だとか「仕事を本当はしたくないんです」だとか書く人は余程の理由がない限りいないであろう。などと考えているとかつて一度だけ義理で面接を受けたとき「実は仕事をするの嫌いなんです」と言ってしまったことがあったのを思い出したが、今考えると自分ながら何考えてたのだか解らない。それはさておき、基本的には自分の長所を前面に押し出してアピールするのが履歴書というものである。しかしここで問題になるのは、どのように自分の長所をアピールすれば良いのかということである。自分の売り込みをするわけだから、奥ゆかしい人間にとっては非常に難しいことである。もちろんわたしもその奥ゆかしい人間のうちの一人であるから、いざ採用される為の履歴書を書けと言われればちょっと困ったことになってしまうのである。しかし有りと有らゆることは冷静にそして論理的に思考すれば自ずと道は開かれるはずだ。そこでより良い履歴書の書き方というものを考えてみたいと思う。
 まず嘘はいけないと思われる。たとえばついつい資格の欄に「弁護士」などと書いてしまったりすると、いきなり憲法前文を暗誦させられたり、判決を言い渡されたり、夫婦喧嘩の仲裁をいきなり頼まれたりするのだから、注意が必要である。そして何よりすぐにばれる嘘はいけない。人格を疑われる可能性があるのである。反対に事実であってもついつい職歴の欄に「弁護士(前世では)」と書くのも避けておいた方が良いと思われる。
 次に長所というのを取り違えてはいけないと思われる。世の中の役にたつ資格だからといって何でも書けば良いというわけではないのである。その職種に適した資格でないとかえって採用から遠ざかることもあるのだ。「一級建築士」と資格の欄に書き込んだとする。しかしその履歴書の持ち込み先が「新日本プロレス」であったりするとまったく無意味なアピールになるのである。また「算盤五段」と資格の欄に記入したとしても、その履歴書の持ち込み先が「コンピュータ会社」であったりするとかなり間抜けなことになってしまう。また資格の欄に「跳び箱八段」と書いたりするのもいけない。そんな資格は存在しない上、その八段というのは段位なのかそれとも跳び箱の高さなのか判然としないからである。もし跳び箱の高さであるのならどちらかというと趣味の方に記入すべき事項なのである。
 また出来るだけ正確に自分を知ってもらえるように書かなければならない。そこでもっとも重要になってくるのが学歴、職歴の欄であろう。学歴を重視し過ぎることに対する批判はあるが、しかし短い間でその人物を採用するかどうか決めるわけであるから学歴というのはある程度その人物を知る上で必要な情報であろう。だからこそしっかりと学歴、職歴の欄を書いておく必要があるのだ。しかしいくら己をしっかりと知ってもらいたいからといってこんなのは良くない。

1971 誕生
1971 ハイハイ開始
1972 初めて「まんま」
1972 一人で歩く
1972 首がすわる
1972 初めて嘘をつく
1973 赤ちゃんはどこから生まれるの? としつこく質問し母を困らせる
1975 スカートを捲ることに執着する
1976 初めて自分の意志でカレーを食す

 いくら己を知ってもらいたいからといっても、これはちょっとどうかしているのではないだろうか。やはり細か過ぎるのは良くない。書きおわるまでにいくら紙があってもきりがない上、多分に虚構が入るからである。何事も程々が良いと思われる。
 そして最終的にはその履歴書を読む人物に如何に良い印象をもたれるかということに尽きると思われる。いくら優秀さを書き連ねてもそれによって機嫌を損ねたり困らせたりするのなら、その優秀さは無駄なものではないだろうか。たとえばこういうのは優秀ではあるが、採用されるかどうかちょっと疑問である。

1974 大学卒業
1978 芥川賞受賞
1986 レコード大賞新人賞受賞
1988 欽ちゃん仮装大賞優秀賞受賞
1989 ベストジーニスト受賞
1990 オリンピックにて金メダル
1991 ノーベル物理学賞受賞
1993 フィールズ賞受賞
1995 上方お笑い大賞受賞

 途中の仮装大賞にやや安心感があるものの、こんなのが入社してくるとなるとちょっと困りものである。経営者もこの人物にはついつい頭を下げてしまうではないか。こんなのは却って採用したくないはずなのである。あまりに優秀さをアピールし過ぎるのも禁物なのである。
 またこういうのも困るにちがいない。

B.C.4 馬小屋で生まれる
  5 水をワインに変える
  20 湖の上を歩く
  30 人類の罪を一人で背負う
  30 磔にされロンギヌスの槍で突き刺される
  30 三日後復活する
  35 神への道を諦め、現在に至る
 
 こんなのを面接したくはないし、また採用しなかったときが怖い。そして何よりも復活後の五年に何があったのか、何故神への道を諦めたのかが気になるではないか。
 またこういう履歴書も採用する側からすればいやなはずだ。

1779 兵学校入学
1784 陸軍士官学校入学
1804 皇帝になる
1809 ジョセフィーヌと離婚
1814 皇帝退位
1815 セントヘレナ島に流されるが脱出し、現在に至る

 いくら人格的、能力的に素晴らしくても元皇帝はちょっと困るだろう。この場合の断る理由は「顔色が悪いので健康上問題がある」ということだろうか。

1604 生まれながらにして将軍
1623 予想通り将軍に就任
1640 人生に疑問を持ち退位し、現在に至る

 また

1971 大学卒業
1988 悟る
1990 悟りが偽りであったことが判明
1996 世俗にまみれたくなり、現在に至る

 こういうのもその人物の魅力であるなり優秀さであるなり長所をしっかりとアピールしているわりに採用ということになると却って不利になるような気がするのである。
 このように履歴書一枚をとってもきちんと書くとなればなかなか複雑で難しいものなのである。履歴書などというのは最初のワンステップであって、この後採用試験面接と続くのであるから、完全なる転職となるとどのくらい難しいのか想像もつかない。おそらく途方もない程の困難が待ち構えていることであろう。となると現在の忙しい身では当分転職は無理なのではないかと思われるのである。


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