其の109 ジョン・レノンに捧げるのだ


 本日は十二月九日である。この日はわたしにとって特別な日である。そう、本日はジョン・レノンの命日なのである。去年は失敗したが今年は失敗しないのである。こんなわたしであっても学習機能はあるのだ。ちなみにわたしはジョン・レノンと親友といっても過言ではない仲であるのだが、それはそれとして去年と同じくジョン・レノンを枕にしてしまうのである。
 さて死というものは当人や家族にとっては当然人生最後の大イベントなわけだが、こと有名人の死というものになると時代のイベントにまで膨らみ多くの人の興味をひくものである。特に最期に何を言って死んだかということはその人間の業績を集約するようで興味深い。たとえばゲーテの最期の言葉は「もっと光を」であるのは有名であるが、実際は「暗いから窓を開けてくれないか」というのが最期の言葉だったようである。ゲーテのような大文学者にして科学者であるような人物は「窓を開けてくれないか」という普通の言葉でさえもそれらしく書きかえられるようだ。
 ゲーテなどはそれなりに立派な最期の言葉であるが、ちょっとどうかと思われる人物も結構いる。たとえば「人形の家」で有名なイプセンは最期の言葉がなかなか凄い。昏睡状態のイプセンの横にいた看護婦が家人に「少し良くなりました」と言ったところ、突然イプセンは昏睡から目覚めて「とんでもない!」と叫び、そしてそのまま死んだとのことである。まったくとんでもないのはイプセンである。折角一時であっても良くなってきたと家人を喜ばせようとしたのにいきなり本人が否定するのだから看護婦もやってられなかったに違いあるまい。
 またキュリー夫人も負けてはいない。しかし名前に「夫人」とつけるのはどうかと思うのだが、それはまあ良いか。彼女は「これはラジウムで作ったのですか?」とうわ言を言いつづけ、そして注射をうとうとした医者に「いやです、構わないで下さい」と言ったという。しかしうわ言とはいえ「これはラジウムで作ったのですか?」はないだろうに。これとは何をさすのかは誰にも解らないのであるが、しかし病室にあるものの中で放射能を発しているものがないかと訊ねるのも失礼というか、研究熱心であるというか、ちょっとわたしには解りかねるものがある。
 あと、確認はしていないが聞いたところによるとジョージ・ワシントンの最期の言葉は「わたしが切りました」であったというし、リンカーンの最期の言葉は「人民の人民による人民の為の政治」であったというし、アダム・スミスは「神の見えざる手」であったというし、ユゴーは「その銀の燭台は彼にあげたものです」であったというし、ドストフエスキーは「ラスコーリニコフ、お前もか」であったというし、ソクラテスは「プラトン、お前もか」であったというし、プラトンは「アリストテレス、お前もか」であったというし、アリストテレスは「アレキサンダー、お前もか」であったというし、アレキサンダー大王は「シーザー、お前もか」であったというし、シーザーは「ブルータス、お前もか」であったというし、ナポレオンは「ジョセフィーヌ、今夜は勘弁してくれ」であったと聞く。
 また日本人も西洋の偉人たちに負けてはいない。情けないのは頓智で有名な一休さんである。彼の最期の言葉は「死にとうない」である。あの一休であるからもう少し皮肉のきいた言葉でも言っているかと思えば結構情けないのである。どうせなら「はーい、慌てない慌てない、一休み一休み」だとか「また来週、じゃあねえん」だとか「虎を屏風から追い出して下さい」だとか「真ん中を渡ればいいんです」とか言っていて欲しいものである。
 また哀しいのが野口英世の「どうも僕には解らない」である。これだけ聞くと「その辞世の言葉はぼくにもわかりません」と言いたくなるが、彼の場合黄熱病の研究途中での死であるからこういうのも無理はないか。ちょっと嫌なのはあの獅子座流星群で一躍有名になった岸田劉生である。彼の最期の言葉は「暗い、目が見えない、バカヤロー」である。いくら意識が朦朧としていても死ぬ前に面と向かって「バカヤロー」と言われるのはちょっと嫌だ。もう少し周りにいる人間のことも考えて欲しいものである。
 色々と偉人は偉人だけあって、それなりに興味深い最期の言葉を残しているのであるが、やはりかっこよさでは最初にあげたゲーテの「もっと光を」に尽きるのではないだろうか。そこで現在生存中の人物ならばこの「もっと」の後に何をつけるかを考えてみた。
 ビルゲイツ「もっとお金を」
 丸谷才一「もつとユリシーズを」
 火野正平「もっと子供を」
 ポールマッカートニー「もっと公文式」
 長島茂雄「もっとですねえ、いわゆるですね」
 父上「もっとコロ君でしゅねえ」
 イングヴェイ・マルムスティーン「もっと腱鞘炎」
 パンチョ「もっと解りにくいの」
 桂三枝「もっといらっしゃーい」
 ジャイアント馬場「もっとチョップを」
 笑福亭鶴光「もっと乳頭の色は」
 小林亜星「もっとサイデリア」
 そしてわたしの場合、実際は「コレデオシマイ」だとか「お先に」だとか「あと十年生きたいが、せめて五年の命があったら、本当の雑文書きになれるのだが」だとか「友よ拍手を、喜劇は終わった」だとか「じやあまた。いずれあの世で会えるんだから」だとか「何もかもウンザリしちゃったよ」だとか色々かっこいい言葉を吐いたとしてもおそらく「もっとカレーを」というのに変えられたりするに違いあるまい。いや、もしかしたら別の人とネタが被るかもしれないから「インディよ、お前もか」になるかもしれない。

(追記)などと書いていたらほんとにジャイアント馬場さんが亡くなりました。しかし最期の言葉は何だったんだろうか。ちょっと気になります。案外「ぽー」だったりするのかもしれません。


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