其の74 放課後のホットブラザーズ(第一話「真昼の決闘」)


 度々で申し訳ないが、またもやギター話でござる。
 中島らものエッセイにはギターがテーマとなるものが多いのであるが、その中でわたしの最も好きなものに「放課後のかしまし娘」(『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』)という連作がある。六本の話からなるものなのだが、中島らもが中学生の頃だったか同級生と組んだコミックバンド(?)についての話である。当時の中学生らしく、今の様に音楽についての情報が出まわっていない為起る珍騒動(といっていいのか)が色々とあるのだが、わたしがこの「放課後のかしまし娘」を読んだとき、それは高校生の頃なのだが、「ははは、おもしろいことやってたんやなあ」と笑い飛ばしていた。それは明日の我が身だと露とも知らず笑い飛ばしていたのであるが、何のことはない、それを読んでいた頃わたしも「放課後のかしまし娘」と化していたことに気付いていなかっただけなのであった。
 当時のわたしにとってロックとはヘヴィーメタル・ハードロックのことを指すもので、今聴いているビートルズやらT・レックスやらトーキング・ヘッズやらヴェルヴェット・アンダーグラウンドやらはポップス以外の何物でもないと考えていた。もっとも知識欲だけは人一倍あったものだから、そういう「ポップス」も知ってはいたのだが、「けっ軟弱な音楽なんぞ聴きやがって、ギター弾くならズバットとテク見せんかい」などと今なら口が裂けても言えないようなことを一人部屋でシコシコとギターソロの練習をしながら呟いていたのである。「イングヴェイ・マルムスティーンは一日八時間練習して左手が腱鞘炎になった」などという、今なら加減を知らんのかいと突っ込みそうなエピソードを聞いては、「よっしゃ、俺もけんしょうえんん!」と叫んだり、「チョーキングは手首から」という話を聞いては一日「千本チョーキング」を自ら課したり、「二弦五フレットから十二フレットまで人差し指と小指で届かなければギターを弾く資格なし」という話を聞いては、風呂場で泣きながら左手を冷水と熱湯を交互に突っ込んで指と指との間隔を広げたり、そういうお馬鹿なことをやって、それが格好良いと勘違いしていたのである。既にお笑いの域に入っているのであるが本人は至極真面目にギターというものに取り組んでいるつもりだったのである。
 そんな修行を重ねたある日、これだけ指も開くしチョーキングも手首からクルクル回るしというわけで友人とバンドなるものを組むのが良かろうと考えた。以前からわたし同様ヘヴィーメタルを愛好している高塚君を誘ったのである。彼もギタリストだったのだが、そのうちメンバーも集まるだろうということで取り敢えず練習を始めることにした。彼もわたし同様速弾きに命をかけているところもあって、どちらがリードギターを弾くかということが当面の重要課題となった。お互い一番と考えているのだからどちらも引くわけもなく、結局、高塚君の家に行きお互いの腕比べをすることになったのである。
「じゃ、俺から」
 高塚君がひゃらひゃらとイングヴェイ・マルムスティーンの「Jet to Jet」のソロパターンを弾きだした。わたしも弾けたのだが、敢えて何もせず彼の痙攣したかのように動く指先を眺めていた。ソロが終了し高塚君は額に汗をかきながら、どう、ふふんてな感じでわたしの方を見る。しかし高塚君はわたしという生き物を甘く見ていたようだ。彼の満足そうな顔を横目にわたしはCから始まる練習曲を弾いたのである。どうってことのない曲だ。高塚君はぽかんと口を開けて見ている。そこでわたしは言った。
「まずは指慣らしをしないとねえ、腱鞘炎っていうのは癖になるからさあ。ギタリストにとって腱鞘炎てのは致命的だよ……」
 高塚君からするとカウンターを喰らったようなものだろう。一瞬彼の額に皺がよる。彼も負けてはいない。
「俺は電車に乗っているときでも指を動かしてるからいつでも弾けるんだよ」
 嘘つけ、さっき動かしてなかったぢゃないかと言いそうになるが我慢して、そして徐にかねてより自信のあったソロパターンを弾きだした。スピードはほぼ互角である。巧さというのではなく我々の価値基準は「速さ」なのである。続いて高塚君は王道ともいえる「ライトハンド奏法」を駆使したヴァン・ヘイレンのソロを弾く。それに対してわたしは「スウィープ・ピッキング奏法」で応える。お互いの必殺技全てを注ぎこんだギターバトルが真昼の高塚邱で繰り広げられていた。我々の座っている横には高塚君の御母堂お手製のテリーヌが置かれているような牧歌的な戦いではあったのだが。
 お互い知っているソロパターンが尽きてきた頃、高塚君は最後の大技でわたしに襲いかかってきた。「背中弾き」である。ギターを背中に背負った形で弾く「背中弾き」である。それもソロを弾きながらの「背中弾き」であった。高塚君はこれ以上ないほどの笑顔で「どうだあ」とばかりにわたしの方へ近づいてくる。や、やばい、これでは負けてしまうと考えたわたしは賭けに出た。普段は殆どできたことがない大技を出すことにしたのである。危険な技であった。これまで成功の確率は十パーセントを切っている、そんな危険な技である。
「ど、どうだああ」
 わたしはすくっと立ち上がってギターを背中にぐるりと回して再び元の位置にもどす、所謂「ギター回し」を敢行したのであった。この技はスティーブ・ヴァイなどがソロを弾きおわった後に格好良くするのであるが、我々ヘヴィメタ小僧の間では「頭にギターをぶつける」危険な大技として認知されていたのである。運の良いことに一度目が成功、二度目も成功と二度も奇跡が起った。苦汁を嘗めたような顔をした高塚君はじわりと流れる汗を拭うことなく、ゆっくりと立ち上がる。彼も回すのか。緊迫した空気が部屋に充満する。
「うりゃあ」「ガチャン」
 彼のギターは高く彼の部屋を舞い、蛍光燈を破壊してしまった。階下から「ど、どうしたんやー」と高塚君の御母堂の声が聞こえてくる。「な、なんでもないー」と取り繕う高塚君。「なんや、がちゃんって蛍光燈が割れる音聞こえたでーー」。ドタドタという音とともに御母堂の声が近づいてくる。何故こういうとき母親というのはいきなり本質を見抜くのか不思議なのだが、高塚君は焦っていた。流石にギター回してて蛍光燈を割ったとは言えない。高塚君はわたしの方を見て言った。
「た、頼む。ギターを回して割ったとは言わんでくれ」
「ぢゃ、俺がリードギターでいいんだな」
「あ、ああ、いいから、何か言い訳考えてくれ」
「ぢゃあ、俺がそこのバスケットボールを投げたことにしてやろう」
「恩にきる。バンドのリーダーもお前でいいから」
「解った」
 彼の御母堂に平謝りしてその場をしのいだ我々ヘヴィメタ小僧達は、最早ギターが巧く弾けるほうがリードギターであるという当初の目的をなくし、より政治的な方向でリードギター、そしてバンドリーダーを決定したのであるが、しかし最後の「ギター回し」はギターを弾くことすらしていないのに気付いたのはバンドが自然消滅してしまう三ヶ月後であった。(続く)


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