其の71 判断させるのだ


 世の中はわたしに判断を強要する。一瞬たりとも判断せずにすむときを作りたくないらしい。油断しているときなどないのである。例えばそれは道をぶらりと歩いているときや、また車を運転しているとき、そしてテレビを見ているときなど、そんな気楽であるべき瞬間ですらわたしに何らかしらの判断をさせるのである。
「一日入国管理局長」
 この肩書きは人を困惑させる。入国管理局長というのは日本という国に入ってくる外国人や物資を管理するものであろうか。名称から判断するとこんな感じか。確かに必要なものであろう。いや、必要かどうかを云々している場合ではない。なければ日本にとって困るものである。トンガあたりから「これ、おいしいよ」などとフニャムチンなどという酸味のきつい、そして匂いは腋臭と似ているような果実をそっと家の前に置いていかれた日には我々は非常にその処置に困るはずである。また日の丸を見ると興奮して人の目を突いてしまうという奇癖を持つ人が勝手に「失礼しまっす」などと日本に入ってくるのも、これもまた我々は非常に困るはずなのである。だから日本に入ってくる人や物を管理することは我々の生活を守る為必要である。これは解る。ところが「一日」なのである。「一日○○長」というのは芸能人がよくやる官庁などのイメージ戦略なのであるが、地味ではあるがしかし重要な「長」である「入国管理局長」、これを「一日」にしてしまうことは如何なものか。我々は「一日入国管理局長」に対してどういうスタンスで臨めばよいのだろうか。「ああ、あの人がやってはるくらいやから、重要なことなんやなあ、入国管理ちうのは」。こういうスタンスで臨むのが、おそらくこの「入国管理局」の狙いであろう。少しは政治に興味をもっている人間ならば、「東南亜細亜などから出稼ぎに来る外国人を無制限に入国させることは労働賃金に低下など様々な問題を抱えることになる。だからこれからの日本において、そして国際的な流れからいって重要なことになるはずである、入国管理ちうのは」というスタンスで臨むのかもしれない。陳腐なイメージ戦略ではあるが、ニュースになるという点でそれなりに効果のあることなのであろう。
 これだけわたしに考えさせれば充分なはずである。しかし彼らは執拗にわたしに問いかける。「一日入国管理局長」。それは衣笠なのである。鉄人の衣笠である。元広島東洋カープの衣笠なのである。どういう理由による人選なのか。たしかに衣笠は立派なスポーツ選手であった。そしてあの顔からは想像できないくらい理知的な話し方をする。そして目は優しそうだ。しかし彼が一日入国管理局長であるということは我々にある判断をさせようとするのである。それは局長の制服の駅員さんが被ってそうなぶかぶかの帽子である。あれは何かのメタファーなのか。それとも我々に対する入国管理局の挑戦なのか。衣笠というと連続出場記録よりもむしろ「ズラ」スポーツマンとしての認識の方がより常識的であったはずである。その認識をもちながら、わたしに彼を一日入国管理局長として認めろというのか。それともそんな事実はないと言い張るおつもりか。いくら「一日」とはいえ入国管理局長である。彼の姿は入国管理局の象徴として見るべきなのだ。彼の被るぶかぶかの帽子も含めて入国管理局なはずなのだ。彼のぶかぶかの帽子は、それは帽子の尊厳を馬鹿にした、言ってみれば頭頂の二重性を露呈している。つまりはメタ帽子である。このメタ帽子は現実的な公的機関である入国管理局の姿勢を疑われても仕方がないのではないか。そして更に声を大にして言いたい。鉄人衣笠が車掌さんのような帽子を被りながら後ろに実際の管理局員を引き連れて空港内を練り歩くのはちょっとやりすぎではあるまいか。お猿の電車と言われても文句は言えないのではないか。
 いやいやわたしも大人であるから、怒りは押さえよう。たとえお猿の電車であってもいいではないか、帽子がメタ帽子であってもいいではないか。彼を選んだ人は多分いい人なはずだ。
 気になるのはテレビばかりではない。車に乗っているとき、それはFMだったのだが、ディスクジョッキーは元サディスティックミカバンド、そして元YMOの高橋幸宏であった。彼はこう語る。
「ベースはねえ、重いから、弾けないの」
 しかしその後のCMがいけない。
「高橋幸宏の”元気Tシャツ”プレゼント中!」
 元気になるのはTシャツを着る者なのか、それとも高橋幸宏なのか、高橋幸宏が元気になるように祈る為のTシャツなのか。漫然と生きている我々になんらかしらの判断をさせるのである。いや、そのネーミングをした人に当たるのはよそう。おそらく彼はいい人なはずだ。
 そして高速道路の料金所の人もわたしに何かを考えさせる。
「hey、四百万円!」
 高速の料金所で四百万円はないだろうし、その前の「ヘイ」は確実に「hey!」の発音であった。アメリカ人なのか、八百屋のおっちゃんなのか、そしてそんな細かなことまでわたしに判断させるのか、この日本という国は。


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