其の68 パパと呼ばないで


 いつの世になっても酔っぱらいというものは存在していて、どれ程世の中が様変りしようとも酔っぱらいは相も変わらず酔っぱらい然としていて、彼ら酔っぱらいの辞書には進化という言葉がない。わたしはどちらかというと酒を嗜む方ではなく、誘われたり何か特別な出来事が無い限り飲酒する習慣がないのであるが、それでも学生時分にはやはり誰もがそうだろうが、それなりに酒を呑んだものである。わたしが所属していた倶楽部は二十年くらい前の学生から左翼思想と若々しい理想を抜き出して、その代わりに駄目を煮しめて詰込んだ今時の学生らしからぬところがあったので、コンパと称する呑み会を開いては神戸の街で大いに痴態を繰り広げたものである。取り敢えず、わけの解らぬものに酒を注ぎ飲み干してみたりする。それらの器は大量の酒を入れるという目的など何処吹く風で、何やら前衛舞踏のパフォーマンスの小道具が如く、例えばそれはすき焼きの鍋であったり、二百万はすると後程聞かされた花瓶であったり、婦女子の高級そうな鞄であったり、果ては傘立てだったりする。いかなる過程を経てそこへ酒が注がれることになったのかはまったくの不明であるなどは今にして思えば恐ろしいことである。もっとも傘立てに酒を注いで飲み干したのは他ならぬわたしであるのだが。そして店を出るとなんとなく道路の真ん中で寝てみたりもする。それは酔っ払った末眠ってしまったということではなく、酒の為冷静な判断力を失ったからである。というのも彼が「ここに寝るのは世界平和の為だ」と叫んでいることからも解るのである。またスキップをする。これには目的がない。目的のないスキップ程恐ろしいものはなく、彼は時たま電柱にぶつかったりもするのである。そして押しボタン信号のボタンの前に立って人が来る度に「轢かれないようにね」と言いながらボタンを押しつづけるものもいる。親切なのか迷惑なのかよく解らないのである。
 また同じ倶楽部に所属する人間に絡みだす奴もいる。お前の悪いところはなあ、などと呂律の回らない口調で話しだすのであるが、要点をしっかりと把握していないので、結局どこが悪いのか解らなくなったりもする。
「お、お前の悪いところはなあ、人に親切なところだ」
「なにー、俺の何処が親切だというのだ」
「この前俺が欠席しているときのノートをコピーさせてくれるなんぞ、お前は親切だ」
「こんなことぐらいで親切だというのか、了見の狭い野郎だ、うぃー」
 お互い何の為に言い争っているのか解らないのである。
 はたまたこんな奴もいた。缶ビールを冷蔵庫から取り出したまま放っていると突然立ち上がって、「こ、こんなところになあ、缶ビールを放っておくとなあ、冷えるじゃないかあ」などと叫びだしたりもするのである。冷えるのならいいじゃないかというと彼はぷいと横を向いて何故かやしきたかじんの唄を口ずさむのである。
 しかし酔っぱらいの醜態というのは、こちらが冷静であるほど面白く、それがまた近親者であったりすると、恥ずかしさ半分、微笑ましさ半分といった感じで中々趣き深いものである。先日父上が深夜酔っ払って帰宅したときのことである。例によって父上の帰宅を今かと待ちわびるかのように玄関にて犬が寝そべっていたのであるが、そこへ父上が酔っ払って帰ってきた。
「わんわん」
「んーー、おお、待ってたのか、んーー、待ってたのか、んー」
「わんわんわん」
「おお、よしよし、寝る、寝るのよねえ、ねんねしようねえ、パパと」
 ぬ、父上は家族の前では一度たりとも使ったことのない「パパ」なる称号を犬コロには使っていたのである。わたしが側にいることは解っているはずなのにそれほど自制のきかぬほど酔っ払っていたのであろう。犬との危険な遊戯は続く。
「んー、んー、よしよし、もう遅いからねえ、寝ないとねえ、パパと一緒に寝ようねえ」
「わんわんわん」
「そうか、パパと一緒に寝るのか、んー、いい子だ、んー」
「わんわん」
 寝よう寝ようと言っているのだが、犬にとって大好きな父上がやっと帰ってきたので嬉しさのあまりやや興奮気味で部屋の中を走りまわってる。
「ほらほら、んー、よしよし、寝ようねえ、ほら、雨降ってるから寝ようねえ」
「わんわん」
「そうかそうか、雨降ってるからパパと一緒に寝るのか、んー」
「わん」
 しかし雨が降るから寝るとはどいういうことなんだ、父上よ。
 そして父上は暴れる犬を強引に布団に連れ込み、寝言のようにぶつぶつと何やら犬に語りかけている。
「……んー、寝ようねえ、……パパと一緒に寝ましょうねえ……ちゃんと寝ないとねえ、……あんな風になるからねえ……」
 父上よ、最後にぽつりと言った「あんな風」とはどういうことか。わたしか、わたしのことなのか。もしそうなのならこれから父上のことを「パパ」と呼ぶことに決定。


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