其の44 五輪


 スポーツのことがよくわからない。運動音痴であるというわけではないのだが、いつの頃からスポーツに対して殆ど興味が持てなくなってしまった。まずルールがよくわからないのだ。野球とかハンドボールとか相撲とか競馬とかは大体解るのだが、サッカーとかバスケットボールなどメジャーなスポーツに関してはよくわかっていなかったりする。一時期サッカーがブームになったが、そのときも「オフサイド・トラップ」とかいう言葉を「おっかない、なんか尖ってるのか」などとなんとなく思いながら見ていた覚えがある。実際どういうのをオフサイド・トラップというのか今でも解らない。
 さてオリンピックである。なんでも長野県で行われているらしい。今朝、何気なくテレビを見ていて気付いたのであるが、いつの間に長野県で実施されることが決まっていたのであろうか。興味がないものだからそういう世事に疎い。しかしオリンピックというのは人を興奮させるものであるらしい。金メダルとか銀メダルとか銅メダルとかを貰おうとしているのであるが、金メダルと聞いてもそれがどれほど凄いものかよく解っていない上、金メダルというと「金メダルマン」という漫画があったことを思い出したり、どこぞの金メダルを取った日本人がメダルを売ったとかいう話くらいしか思い浮かばないものも困りものである。
 家族もオリンピックに夢中になっているくちである。母上なども台所で料理をつくっている最中「今、誰、飛んでる?」などと大声で聞くくらいであるからオリンピックが気になる模様である。偶然テレビを見ていた際、ジャンプというのであろうか、坂道をスキー板に乗りながら滑りおりて飛ぶ競技をやっていた。母上はこの競技に参加している原田とかいう選手を贔屓にしている為、飛ぶ瞬間を見逃したくないらしい。
「今、だれー」とわたしに何度も訊ねるのであるが、この競技に参加している選手は皆一様にぴちぴちですべすべした格好をしている上ゴーグルをしているので見分けがつかない。そこで素直によくわからんと母上の質問に答えた。母上は興奮している為こちらの冷静な返答に苛立っているようだ。
「じゃあ、お父さーーん」と別室で犬と戯れている父上を呼びつけた。父上は犬との接吻の最中を邪魔されたことには腹を立てている風でもなく、そそくさとテレビの前に座った。父上も原田とかいう選手が気になっていたのである。
「今、だーれー」
「外人」
「あー、そう」
 誰という問いに外人と答えるのもどうかと思うのだが、それで意志の疎通は出来ているようだ。そこでわたしは父上に訊ねた。
「外人って誰?」勿論知ったからといっても特に何もない。
「うーん、外国の人」
 知っとるんちゅうねん、と漫才師の如くベタな突っ込みをしたのだが、父上はわたしの突っ込みに対して知らぬ顔を決めこんでいる。
 ようやく原田選手が飛ぶ順番がやってきたようだ。
「原田が飛ぶよー」「きゃああ」
 母上は黄色いというにはあまりに汚れすぎている声を発して台所からテレビの前に座り込んだ。夫婦は揃って息を殺してスタートの瞬間を待っている。原田選手が勢いをつけて発進した。ぐんぐんと坂道を下り、そして空中に向かって飛び出した。アナウンサーは「のびるのびる」と絶叫している。やっとここで気付いたのであるがどうやらこの競技は如何に遠くへ飛ぶかというもののようだ。「いったいった」アナウンサーが叫ぶ。
「K点を越えましたー」
 うんん、なんだこのK点というのは。解らないのであるから「罫点」かもしれないし「計点」かもしれないのだが、取り敢えず「K点」だということで納得をして、色々「K」のつく単語を考えてみたのだがよく解らない。そこで父上に訊ねた。
「K点て何?」
「うーん、危険な点」
「危険?」
「これ以上飛ぶと危険な所」
「危険なところ飛んだのに何でみんな興奮してるの。勇気あるからか?」
「そうじゃなくて、飛び過ぎると駄目みたいで、その限界まで飛んだから凄いんだ」
「ふーん、チキンレースみたいなものか。それでK点のKって何?」
「危険のK」
「ローマ字か」
 また父上はだんまりを決め込んだのであるが、しかしK点の意味は父上ので合っているのであろうか。余所で話して大丈夫か。もし正確に知っている人がいれば教えて頂きたい。ついでになんの略なのかも教えて頂きたい。
 原田選手が飛び終えた後、画面の隅に何か得点が表示されていた。
「これ何の得点?」再び父上に訊ねた。
「うーん、美しさ」
「何の?」
「飛ぶ格好の」
「え、ぢゃあこれは美しさを競う競技なのか」
「いや、距離と美しさの両方」
「ぢゃあ、寝ながら飛んで世界新記録とか出したら駄目なのか?」
「駄目」
「それと飛ぶ瞬間に笑顔を絶やすと減点なのか」
 また父上は黙り込んだ。
 しかしオリンピックだのなんだのといってもルール自体がよく解らないから面白さも解らない。であるから興奮などもまったくしないのである。いや、そういえば観客の日本人がマスクをしていたのだが、そのマスクの中央に日の丸がプリントしてあって一瞬結核患者かと勘違いしたことや、ジャンプの選手の名前が「アホーネン」だったことに笑ったことや、昔マラソンに「メコネン」という選手がいたことなんかには興奮した覚えがある。しかしそんな不謹慎な興味しか沸かないわたしは変わっているのであろうか。


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